Wednesday, June 9, 2021

小説「オットー」

 ※これはフィクションです


僕の名前は明かせない、がすでにメディアで有名になっているはずだ。これは米朝の国際問題にまで発展する問題だからだ。

僕とジェフ、シドニーの三人は北朝鮮に旅行した。目的は観光で、ちょっと変わった国にいきたかったというのもあるし、それから僕らは大学時代に韓国語を専攻した同窓生であったから、

卒業記念に社会学習も兼ねて未知の国、謎の国、北朝鮮に行ってみたいと思ったんだ。

アメリカから北朝鮮へは直接行くことはできないので、中国にまずいってそこから経由する形をとった、ここはすべて代理業者がいたのでその指示に従った。

ジェフはシドニーと恋慕の関係にあった。だからちょっと微妙な空気もあったけど、でも三人は仲がいいことは確かだった。

僕にも付き合っている彼女がいたが、彼女は(マリー)僕の北朝鮮行きを止めた。「危ないわよ!」って。

危ないのはわかってる。法治主義のない国だ。

ない、というと彼らからは怒られるかもしれないが法はあって建前のようなものだ。そもそも法は人によって運営されるのだから、

これをよりフェアにしたのは恐らくはモンテスキューとか、それから西洋で流れたたくさんの血の結晶であって、

これの伝統にあやかっているのが僕ら民主主義国家の人間なのかもしれない(というと、北朝鮮も民主主義だ、と怒られそうだが)

でも少なくとも本当に観光で来てたんだよ。

平壌ではいろいろな面白いアジアの食べ物があったし、全て目に入るものが新鮮だった。

いろいろ監視はされたけど・・・・

地元の子供達とも、雪合戦をして遊んだ。


だが、これは悪夢の入り口だった。


ジェフがトイレに行っている間に、僕は好奇心からホテルの中を散策し、そのあと外まで出て不思議な看板をみた。


「なんだこれ?」


手に取ってみると、ソ連のようなプロパガンダの看板のようだった。


そしてその夜、警察がホテルのまえで大声を張り上げて怒鳴ってたんだ。


一瞬、背筋が凍った。


その場にいたシドニーがおそるおそるドアをあけるなり、警察がわたしをみて、そのまま強引に地面に押し倒すと、明らかに私の手のサイズには合わない手錠をかけた。


そして私はその日のうちに、20年の懲役刑を言い渡された。


目の前が真っ暗になった。


好奇心で訪れた異国の地で、僕の人生は音を立てて崩れ落ちた。


お母さん・・・・・!


そのあと、僕は寒い地下牢に裸で入れられた。


そこは4畳ほどの冷たい石でできた牢で、不潔なアジア式便器が端の方にあり、ハエやゴキブリが溜まっていた。


ここが僕の新しい住処!!!!!!


その後、僕は取調室に連行された。


耳に電極を当てられ、高圧電流を流された。


記憶が飛ぶ。


汗が流れ、小便を漏らした。


大声で怒鳴られる。


嘲笑。30代くらいの取り調べ官だった。


飯は一日一回、汚い雑炊だった。肉も野菜もなし、アンモニアのような悪臭がし、思わず目を背けたくなった。


これが、20年続くんだ・・・・


十日がたった。


顔の上に這うゴキブリに慣れた。


何もすることがない。


本も読めない。


誰とも連絡できない。


まるで動物だ。それから、強制労働に駆り出される。これが一日16時間で、

ただひたすら土木作業。


大きな銃をもった刑務官が鋭い目で全員を睨みつけていた。


そして何人も殺された。


何人殺されたか覚えていない。


そして僕も殴られた。


毎日毎日、


こんな生活。


人間としての尊厳を剥奪された生活。16時間の強制労働。

生きるため、地面に落ちたゴミを拾って食べた。


腹を下しながら、糞尿を漏らしながら、


怒鳴られ、電気ショック。


次の日も、次の日も、


そして僕は死んだ。


死因分析:おそらく僕は電気ショックやそれから何かしらの電磁波(これは推測であって断定はできないが)による要因にもよるが、多くは住居環境のストレス、それは劣悪な衛生条件や布団のない、冷たい床で直接寝なければならない、昼休憩も土日休みもない強制労働、意味のない毎日・・・といった過酷な状況で、この過酷な「繰り返される」途方もない未来に絶望した・・・・精神的な負荷というのが大きいと思う)


また、良いと思ったことは死んだ後も精神は存在していたということだ。視覚とか嗅覚、自分がいまどこにいるかという位置関係の概念はなくなったが、ただ僕が僕である自我は引き継がれ存在し、なぜか記憶も存在している。











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