Saturday, June 19, 2021

頭のいい人の特徴

頭のいい人には共通の特徴がある。

特に近年SNSの発達により、より人間の知性やリテラシーの「格差」が明らかになった。

これは特定の国や人種とは無関係に思え、多くの人間はやはり頭がよくないし、社会を動かしているのは頭のよい人間で、

まあそれは別にマウントとかではなく、勝間和代氏も言っているように、「金は頭の悪い人からいい人に流れる仕組み」、という客観的な現実があるだけである。

もう少しフェアというかいやらしさを排除した言い方をすれば、「情報の非対称性」がその人間の資産や所得の格差に反映される。

例えば税金の知識である。

税金は、国がやさしく個々の国民からフェアに徴収しているわけではなく、「知識」がなければより多く取られる仕組みになっている。(例えば行政は青空申告を自動で適用してくれるわけではないし、さまざまな補助金等の仕組みは「意図的に」難しく、わかりにくい仕組みになっている)

また、情報商材やその他マルチ商法・オレオレ詐欺など、「情報弱者」を騙して金を巻き上げようとするものは跋扈している(そのため、きちんと防衛できないと本来割りに合わない・必要のない商品を買わされる)

頭のいい人間の特徴は、

(1) 論理的な思考がかなり「堅く」出来、

(2) 思考や判断のバランスがよい

(3) 断定をしない

という3点があげられる。

まず、頭のいい人は


(1) 論理的な思考がかなり「堅く」出来る

論理的思考、などというと万人ができていると思いがちでは実際はそうではない。例えば

「Aは素晴らしい」

「Aを素晴らしいと思わないBは悪に違いない」

というような発想は論理的思考に欠けている。つまり「Aが素晴らしい」というのはあなたの主観であり、「Aを素晴らしいと思わないBは悪に違いない」もあなたの主観であるが、

例えばこれに宗教が合体すると、

「Aは素晴らしい」....1 

「Aを素晴らしいと思わないBは悪に違いない」 ...2

「神はBを滅ぼすだろう」 ...3
というような論理の飛躍が起きる。

もちろん上記1, 2, 3は全て自分の勝手な「思い込み」の類であり、


「鉛筆は全て鉄製である」


という断定が誤謬であることは誰がみても明らかだが(主に経験則から類推して)


しかし本人の中では


「鉛筆は全て鉄製である」


という「国語」「断定」が行われ、これが事実になり、これにコミットしない他社は「悪魔」「悪」である、という「思い込み」が成立する。


この手の知的弱者について厄介なのはいわゆるSNSなどで偏った情報(自分のバイアスを強化する情報)を選択して摂取することでさらにそのバイアスを強化していくことで、


彼らの特徴として社会的なコミュニケーション能力が低く、人の言動をすぐに「脅威・悪意」と誤認識するアスペ的な傾向があり、自分本位で、人間関係でトラブルを起こしやすい。

「思い込み」が原動力なのでおおよそ人の意見やアドバイスなどは一切耳に入らず、むしろ本人のアイデンティティを刺激するので誰も近寄ることができない。

家族も含め周りの人間に敬遠されていく人間の典型である。(また、経済的にも困窮しやすい)


(2) 思考や判断のバランスがよい

頭のいい人間は思考や判断のバランスがよい。

「自分は中道」と錯覚しつつカルト化の道をすすみ戻って来れなくなる人がいるが、本来バランスのとれた思考とは


「自分が果たして正しいのか?」


を常に検証したり自問自答できる人間である。

思考や判断のバランスがよいということは例えば一つの話題に対して、複数の視点をもつ習慣があるということで、逆に複数の視点をもたなければ物事は立体的にみることはできず、立体的にみることができないっていうことは要は「偏ったものの考え方」を「思い込んでいる」に他ならない。


だから「政治の話はするな、はおかしい」と抗議する人間が見落としているのは

「お前が「政治の話をするな」、って言われているのは誰もお前の自己満足の公開マスターベーションを見たくて来ているわけじゃないし、そもそもお前は神ではないし、政治に興味があるっていうのは普通金融とかテクノロジーとか税金とか社会保障とか貿易とか化学とかいろんな総合的な話題関心が「政治の話」に含まれるが、お前がやっているのは「限られた狭い興味関心、また特定の「思い込み」の押し付けであって、そのほとんどが質の悪い・偏った・曲げられた情報で出来上がったモンスターみたいな公害であって、だから嫌われるんだよ、お前と喋ってると不快なんだよ、ふつう」」

というそもそも論であり、ただそういう現実をつきつけても本人を刺激してどんどん過激化するし、本当のことを指摘しても逆恨みされて神の名を借りて(100%本人の主義主張であり宗教と一切関係ないけど)批判されるから、そりゃあ誰も近づきたくなくなるだろ・・・・としか思えない)


思考のバランスとはコミュニケーション能力とも密接に関係していて、


ビジネスにしろ何にしろ社会活動というのは自分の主義主張を人に押し付けるではなく


「相手が何を欲しているか・求めているか」


に答えて相手を幸せにしてあげる・感謝されるのが本筋であり、


血眼で「日蓮大聖人が!!!!」と紫のパンフレットを押し付けてきたり、

革マルや中核派がオルグしようと全く無関係のサークルの扉を開けてまくしたてるような


「自己満足」は思考のバランスとはいわないし、知性ともいわない。


それは知性の「退化」である。(実際それでは人は離れていく)


(3) 断定をしない

また、頭のいい人間は物事を「断定」しない。

断定というのはおおよそ知的弱者の行う悪癖で、少ない限られた情報からすぐになにかを断定しようとする。


「〇〇派は、悪だ!諸悪の原因はこいつらなんだ!!!」


いやいや、そのあなたが十把一絡げにまとめている〇〇派がどういう風に分かれていて、どういう風に分裂してどういう風な主義主張を持っていて(ネットじゃなくて一時ソース、な)どういう歴史があってなぜそれらの主張が支持されていてどういうコンテクストなのか・・・

とその〇〇派をきちんと研究やりこみましたか?

してないよね?

で、だいたい自分の「思い込み」にそぐうような書籍ばっかりかいつまんで読んでいて自分の主義主張と異なる人たちの書籍をきっちり読んだのでしょうか?


人間、「断定」したらおしまいです。


(金銭的にも相当苦戦を強いられると思います)

自分が常に固定していて、周りを批判しているだけの人は魅力的ではないですし、視点が偏っていて話になりません。

ほぼほぼ感情論で不毛な批判をループしており、社会全体にとっても全く戦力になりません。




とまあここまで述べてきましたが、

頭のいい人はよりオープンで、より多角的にものを捉えることができる、ということ



ただ残念なことに、SNS、とくにFBは過去に情報のセグメンテーションで何度もユーザーを洗脳(誘導)した前科があり、今もそれは現在進行中なので、

まあバカを洗い出すリトマス紙にはなると思っています。

いわゆる中国人に対する揶揄なんかはその最たる例で、

まあ知能指数の低い人間が差別主義者になるのはある程度宿命なのですが、

そういう「関わる価値のない人」を整理できるっていう意味ではよいリトマス紙だと思います。

人は変わりませんし、

人の知性も変わらないので、

より金銭的に豊かになりたければ、

バカとは付き合うな、ということだと思います。

口が悪くてすみません。(炎上していくスタイル)



尊敬は与えられるものではない。勝ち取るものである。
リナス・トーバルズ(Linuxの創始者)

No comments:

Post a Comment