Monday, May 30, 2022

最近できた友人の話

 見出しの通り大してPVを稼ぐつもりもなく、個人的な備忘録である。

先週末、地元西東京を嫁と散歩していた。その日は、とくに着るものにこだわりもなく、なんか着やすい、昔買ったパイソンTシャツを着て外に出た。

パイソンTシャツとは???いわゆるプログラミング言語である。(説明はここでは割愛する)

そして、嫁の小さい歩幅に合わせながらてくてく歩いていると、向かい側に身長180cm?くらいの白人男性がこっちを見てやたらとハイテンションになっている。

そして、いきなり話しかけてきて

「いいTシャツですね〜」

と流暢な日本語で話しかけてきた。

な・・・・なんだこやつはっ!!!

と思った。というより、時期が時期なだけにウクライナ難民の人かなとかも思ったりしたが、実際はアメリカ人だった。

彼は(なぜか・・・)スマホを携帯しておらず、連絡先の交換ができないので本人のメアドを私のスマホに入力してもらい、後ほど連絡・・・

そして、駅のスタバで合うことになった。

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とまあ経緯をひたすら時系列に沿って喋っても文章量が多くなるだけだし、また、まあ知人の個人情報をべらべら発信するのもどうかと思われるので(私個人のことは問題ないが)、本題にいくと、

銃規制の議論になった

やはり、人間関係の価値というのは「同一の価値観を持つ」仲間同士でつるむことではない。それは「コンフォートゾーン」であり、「馴れ合い」であり、新たな発見や学びではなく「自分の思い込みをループし強化する行為である」・・・

自分と違う国や人種・・・また、信条の相手(のうちある程度のレベル以上の人)と関わり、話す時、やはり「こういうバックグラウンドの人はこういう思想なんだ」とか「こういう経緯でこういう思想になるんだ」という考え方がわかって面白い。

彼のことは「ジョン」とここでは呼ぶ。

私はこれまでわりと「銃規制」賛成派であった。

これは、そもそも社会というのを性善説で運用するには限界があり、そういう限界が昨今の米国での銃乱射事件につながっているだろう、そして一般人が50ドルでハンドガンを買えてしまう世界線では、「ハンドガン」で殺人を行う人間が出てくることは不可避であり、治安的にも大問題だろう・・・というものであった。

事実昔サンフランシスコのオフィスに行った時、同僚の一人(元刑務官)の趣味は拳銃の収集だ・・・などというトピックがちらっと出たこと、またサンフランシスコのシアターの入り口に(ここに拳銃を持ち込むのはご遠慮ください)みたいな但し書きがあったこと・・・・

私の中で「銃」はやはり特殊な職業の人を除いてもっちゃだめだろ(特にハンドガンは)という認識があった。

この点、彼の意見はまったく異なるものであった。

彼の主張はこうである:

1.アメリカ人は、教育過程でまず銃の使い方についてのリテラシーを教え込む。(人に向けるときは、殺す時。冗談でも人に向けるな)
2.包丁で人を殺すのが一握りなように、銃で人を殺そうとするのは一握りだ。そして世の中の大半の人間が善人である以上、その悪人をみんなで撃てば良い。
3.アメリカで銃規制してもメキシコから拳銃を持ってマフィアとかが流入してくる。その際にこちらが無防備なのは意味をなさない。

非常に雑なまとめ方をすると上記になる。

確かに、われわれが各国内のニュースを外国人として目の当たりにする時、「外れ値」が恰も全体であり日常であるような錯覚をしがちである。

2.については個人的には同意しかねるところがあるが、私個人がアメリカに滞在した期間がせいぜいトータルで1年半程度・・・である以上、現地の彼の感覚がより正しいのかもしれない。

ここで、特筆すべきは「アメリカ人」(というと語弊があるが少なくともわりと銃賛成派のアメリカ人)の「徹底的な自由」の概念だろう。

ぼくら日本人は結局敗戦のあと、まるでお目溢しをもらうように「米国式自由」をもらい、享受した。

無論巷にあふれる気持ちの悪い米国陰謀論は唾棄すべきスパムだが、

それでも日本人の中から日本人の風土の中で生まれ育った「自由」ではなく、日本人はわりと「土管」的に米国の「自由」を中継・コピペしているに過ぎないので、日本人にとって「自由」とは借り物である。
(日本は江戸時代など性表現の自由やおおらかさがあり、むしろこれこそ日本独自の文化であり美徳であると思うが・・・)

だが、米国の自由は「銃を持つ自由」も含めた徹底的な自由である。

むろん諸々なタブーはあるが、しかし「自らを武装する自由」、「警察を信用しない自由」、という

レッセ・フェール的なマインドが根強くその魂の根幹に埋め込まれているのは非常に「面白い」と感じた。

一方の中国は完全な「父権主義的」国家であって、

個人の自由とは対局にあるが、この「父権的」な共同幻想の「ラインを超えない」限りは楽しく生きていくことができる。

ただ、ある意味で中国もレッセ・フェール的ではある。

このレッセ・フェール(最小国家)さはおそらくは国土の大きさや人口と比例しているような気もするから、物理的に無理なのかもしれない(格差を最小化することが)

その反面、

日本はある意味では中国よりも社会主義的であり、米国よりも中途半端な自由の概念をもっている国として、

まあそれも面白いな・・・とは思う。

まあそんなかんじで。

いろんな背景の色んな人と交流するのは、面白いと思いました。

ちなみにジョンはエンジニアになったので、定期的につるむことになりそうです・・・・



Thursday, May 26, 2022

ロシアについて(アップデート)

 時間がたつにつれ、ロシア軍の戦争犯罪が明るみになってきている。多くの無辜の市民・・・子供女性含め、犠牲になっており、見るに堪えない。

今回起こったこと・・・・すなわち、ロシアにより他国への侵略と虐殺は、世界各国に大きな影響を与えた。
未だに米国陰謀論とかウクライナへの批判をしているのは、ロシア政府か、中国政府か、頭の弱い人の三種類になってしまった。

ただ、この件について、これを「ロシア固有」の問題とするのは少し違っていて、歴史上このことは繰り返されてきたんだ・・・ということだ。

つまり、

(1)侵略・そして侵略体制化での犯罪
(2)侵略を正当化するプロパガンダの浸透
(3)ナショナリズムと結びついた歴史修正主義

だから、今回のロシアで行われていることは、まさにナチスが他国を侵略したときと同じ論理なんだ・・・・ただ、SNSという武器をクレムリンが手に入れたことを除いては。

陰謀論は刺激的で、バカに刺さりやすい。

これは、私自身が20代の若き頃バカだったから・・・というのもあるが、昔はインターネットの掲示板とか、そういうところでこのような陰謀論はまことしやかに囁かれていた。

「電磁波」とか「集団ストーカー」などはその良い例かもしれない。

どういう意図でこのような陰謀論が発生したのか、または偶然のおかしい人の被害妄想の共鳴・電波によってこれが増幅したのかはわからないが、このような陰謀論が横行していた。

陰謀論はバカに刺さりやすい。

陰謀論はファクトの検証が必要ないからだ。ファクトの検証は、スキルが非常に要求されることであり、緻密で客観的な判断が求められる。それは、

なにかに安易に飛びつかない

ことだ。

「悪の組織がいて、悪の奴らがいて、そして本当は世界は正しく善なのに、この特定の悪の奴らが悪さをしている・・・だからこいつらをやっつけなきゃいけないんだ!」

そうして、ユダヤ人はガス室に送られた。

この手の困った「陰謀論ちゃん」に特有なのは、自分が「固定して」「間違いなく」(それこそが知性の劣化であり衰退なのだが)、自分を客観視できず、社会的に孤立しており、人がどんどん離れていく・・・

そして、「自分は問題ないアピール」→「批判」→「批判」→「批判」→「自分は問題ないアピール」→「批判」→「批判」→「批判」

のような非生産的な発信をし続け、どんどん人が近寄れないモンスターと化す・・・・

そうしてセクトやカルトが生まれる。

一時期、某仏教系新興宗教がネット上で叩かれていたことがあった。ここでは「創造アカデミー」と呼ぶことにするが、

この「創造アカデミー」への一部の人間の持つある種の憎悪に近い感情や侮蔑感情・・・・

これらは、おそらくは「誰かによって吹き込まれた根拠の薄い」情報が多く(すなわちネット上にばらまかれた情報)、

本当に「創造アカデミー」について揶揄されている、あんなことやこんなことが本当なのか???

については、実際は根拠が薄い・・・と思われる。

ただ、「創造アカデミー」について本当によく知っている人間(本当に研究し尽くした人間)が「創造アカデミー」を批判しているというよりは、

やはりあまり対象についてよく知らないし勉強もしない、そして社会的に孤立しがちな人がこれをひどく批判しやすい・・・・

無論戦後この「創造アカデミー」にある種の成果至上主義のマキャベリズムがあったことは否めないが、それでも上祐さんも指摘している通り、

「創造アカデミー」が現在ここまで安定して生存してこれたのは

自己相対化ができた

という側面は否めない。

また、本来であればゲットー化したり犯罪率が倍増しそうな不安定な貧困層、労働者層の面倒を見たり、コミュニティを提供した功績は大きい。

だから一概に「創造アカデミー」「悪し」は単に戦後日本をきちんと勉強していないんじゃないか・・・という気が、最近はしています。

そして、この

「世界は、とある悪に支配されている!!!!こいつらが真の悪の根源なんだ!!!!」

的な、そういう、Qアノン的な、または、大震災の後に在日外国人の方を襲ったような、

そういうメンタリティはやはり社会にとっては有害だと思います。

いくらキリスト教徒が「創造アカデミー」を血眼になって批判したとて、

キリスト教徒が殺したり拷問した人間の数に比べたら、「創造アカデミー」はそういう罪は「ほぼゼロ」といってよいでしょう。

もちろん私個人は「創造アカデミー」の信者になる気は毛頭ありませんが、

やはりそういう揶揄は「アンフェア」だと思いますし、

「こ・・・こ・・・これは本当のキリスト教ではない!!!こ・・・これは違う、本当のキリスト教は・・・!」

みたいなのって不毛だと思うのであります。

つまり、「自分に属するものは可愛い」けど、「自分に属さないものは悪」という幼稚園児のような精神性なので、いただけません。

そして、そのような汚臭漂う非建設的な批判をひたすら繰り返しても、マスターベーションでしかありません。そんな価値観に誰もコミットしたく、ありません。(カルトだし)

今の時代、特に反ワクチンとか以降「カルト」の形態は大きく変わりました。

今は、SNS上に流れるこの手のプロパガンダ(反ワクチン、プロロシア)が現代の「カルト」と呼べるでしょう。

カルト信者を脱会させるのは至難の業ですし、

高齢ですともう救いようがありません。

話を戻しますが、

今回のロシアの件、「ロシア」が・・・・ということだけではなく、

かつて「ナチス」が、

かつて「日本軍」が・・・・

という、

かつて自分たちがその状態に陥っていたんだ・・・という観点から、今回のウクライナで起こっていることを絶対に許してはいけないんだと思います。

虐殺が起こっています。

強姦が行われています。

拷問が行われています。

普通の人たちの手足が吹っ飛んでます。

子供が沢山、殺されています。

そして、これが起きる本質は、

権力を、国民が監視・制御できない状態

だと思っています。

だから、三木清は獄中で疥癬に襲われながら汚物垂れ流して非業の死を遂げたわけですし、

小林多喜二はああいう悲惨な死に方をしたわけです。

日本が、100年という単位で考えると別にロシアに対して倫理的優位にたっておるわけではなく、

権力の暴走を、国民が止められない。

プーチンの犯罪を、国民が(仕組み上)止められない。

ここに問題の本質があると思います。


日本人も、他人事ではないでしょう。

ここ最近ネット上に(特に日本語圏)に溢れかえっている、

「ババーン!ババーン!ババーン!」

「真実!裏側!!!!アメリカの裏!!!」

「ババーン!この本を読め!ババーン!」

「戦争の真実!なんたらかんたら!なんたら!ババン!」

的な・・・いわゆるようつべのCMのような、「ゴミがゴミを売っている」系のものが(特に日本語圏に顕著に)溢れかえっており、

日本語圏の情報空間、よっぽどリテラシーがないとカルトを量産してしまうのは仕方ないと思いますし、やはり複数言語からバランスよく信憑性の高いソースを消費する習慣が必要なのでしょう。

そう言う意味では、ある意味「陰謀論にハマるか否か」が、知識格差・・・であり、経済格差なのかもしれません。

https://sugano.works/

コーヒーハウス効果で、「あっちの世界に行ってしまった人たち」同士が共鳴しあう状態を、「価値観がハマる」と錯覚したくないものです・・・(人生は短いですし)