Wednesday, March 17, 2021

死ぬべき本屋

(※かなり過激な文章になっております。読む場合はお気をつけください。)

かなり強いタイトルではあるが、思うところがあり書きたいと思う。

僕の家の近所には3つ本を売っている場所があって、一つはショッピングモールの一角にある。

リモートワークが推奨されてから、昼休みに本屋を探索することを本能的にやらざるをえない私は、いつもどおりその本屋にいって本を眺めて回っていた。

すると、高齢者男性が本屋の(これも60歳くらい?)店員(たぶん店長?)と話していた。

「え、や、この本棚にある本は読んでませんでして、へぇ、具体的に何書いてるかはわかりませんけども」

「新刊をそのまま並べとるんです」

地獄に堕ちろ

と思った。自分の売っている商品に対しての興味の欠如。

こだわりや思想も一切なく、ただ新刊がきたらそれを並べればいいだろうという安直な発想。

発展途上国もびっくりの仕事にたいする怠慢な態度。

このようなうんち書店が生き延びてしまうのには構造的な問題があり、

日本の書店業界は出版社から仕入れても、売れなければそのままノーリスクで返品できる。

僕はこの本屋(人じゃないよ)に対して殺意すら覚える。

じぶんの仕事に誇りはないのか?

本屋が本を全然読んでないと言う愚かさ。

無教養・幼稚・浅はかさ。

地の利で一定の売り上げは保てているが、それは他に選択肢がないからであって、サービスとしては生ゴミ以下だ。

なによりも悲しいのは、地元の子供たちにとってこういう本屋が生き延びていると言うこと自体があるいみ「虐待」でもあるということだ。

ジュンク堂や、上野の駅前にある本屋は全然違う。

その本屋に並んでいる本のレパートリーで、そこのオーナーの知能指数(や教養)がわかる。

恥を知れ と思う。

出版不況は、出版社だけの問題ではない。

金太郎飴のような生ゴミ書店を殺処分してこなかった日本の構造的な問題だ。

皮肉なことに、この書店の近くに 障がい者の方が接客している特殊な古本屋があるのだが、本の質としてはるかに上記の書店よりもレベルが高い。

国をよくしたければ、まずは書の虐待をやめることだ。

であるからして、古文漢文は教育として間引きすべきでないし、今の教育の問題は(国際力の低下とか)は単に前の世代にくらべて子供への教育内容の総量が間引きされているからであって、責任を古文に転嫁するな、と思う。