もちろん自己投資という言葉を使っているインフルエンサーや個人を否定する意図は全くないし、確かにモチベーションを湧かせる期待を含んだ単語である。努力、という呼称よりはよいのかもしれない。
ただ、いわゆる駆け出しエンジニア的な界隈や起業界隈などで情報弱者をカモにするためのパワーワードとして使われるケースが散見されるようになった。
例えばプログラミングスクール運営などはどうしたって自分のカリキュラムを何十万何百万という高額な価格で売りたいし、本人のツイートにもそのての下心が露骨にみられるように見受けられる。
自己投資とはなにか?
そもそも投資とはリスク資産とほぼ同義であって、それは元本を保証しない。ゆえ、1つの銘柄に投資した際にその価値が半減する、というリスクも存在する。
逆に、倍増することもあり、この不確実性をリスク、と呼ぶ。(両さんの受けうり)
であれば自己投資とは元本保証がないのか?また、投資であれば分散投資でなければきついよね、となる。では投資信託?
投資自体は投資そのものがどのような性質の投資か、でそれが有益か、はたまた自己破滅的な行為か、がわかれる。
つまりは自己投資とは自己リスク、ともいえる。
つまり買い物をする際に本来の価値を大幅に上回る値段で何かを購入する、のは馬鹿げた行為であり、浪費である。
そして、例えば赤本一冊に5十万円ぶちこむのは投資とは言わない。それはぼったくり、という。
プログラミングスクール、の類についても、これは自己投資という言葉を使って本来の価値1に大して百の対価を支払う、そういう情報の非対称性を利用して利ザヤを稼ぐ行為、
そしてその養分になる愚かしい行為が、安易にスクールにはいる、という行為だという認識がある。
投資でも投機とかデイトレであれば弱者が強者の養分として資本をスる、のであり、その片棒をかつぐのはどうか、それは社会の公益性としてどうなのか、と複雑な気持ちになる。
プログラミングについていえば書籍での独学、実際に作ってみる、GitHubのソースコードをいろいろ落としてきて読書する、がいちばん有益であり、QAはスタックオーバーフローで事足りる。
再度、間違った自己リスク、をしていないかどうか個々人が気をつけないと、養分になるだけだと、思います。
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