Sunday, April 25, 2021

映画「朝が来る」を観た感想


あらすじとかはwikipediaなんかに任せるとして、ざっくりいうと夫の精子の問題で子供ができない夫婦が、NPO団体を通じて、ある女性「ひかり」から子供を養子として迎える。

そして、数年後、この「ひかり」が再度まったく変わり果てた姿で養子夫婦のまえに現れ「子供を返せ、さもなくば金を渡せ」という非常識な、そして脅迫的なかんじで二人に対峙する場面となり、そこからこのひかりという母親の半生、子供を授かった経緯・・・などがつまびらかに展開されていく。

この映画で印象に残った点は以下:
(1)「ひかり」役の女性の演技力というか技術スペックが化け物級
(2)感情移入すべき主人公が途中で「得体の知れない悪役」にシフトする。
(3)社会派であり、個々のキャラクターやイベントに重心が丁寧に置かれている

まず、(1)「ひかり」役の蒔田彩珠の演技が凄かった(そして同様に演出もすごかったと言わざるをえない)。はじめただのウブな10代の、いわゆる生意気盛りのJC娘・・・・というかたちで、観ている方はまさにその実態をそのまま受け取っているのだが、そこからどんどん人格が変遷し、不良化し、底辺ギャルと化し・・・といった個々の、それぞれがほぼ疎結合であり互いに背反しているキャラクターをすべて「そこに実態があるように」100%演技し、なりきっているというかそのものになっている。

役者としては「当たり前の」「基礎」なのだが、この「基礎」が化け物レベルすぎて、個人的に強いインパクトを受けた。やっぱトップに立つプロってすごい。

(2)これについてはプロットへの感想だが、はじめ養子を受け入れる側に感情移入をさせ、彼らの人生と第一人称をトレースさせておきながら、途中で「修羅場・インシデント」を通して「悪役」の仮称から入ったこの「ひかり」にカメラをスイッチさせ、彼女の人生と物語をほぼ時系列でトレースする・・・・

もちろんこれらの時系列は個々の部分でぶちぎられており、後で交点どうし接合させているのだが、そういう視点をスイッチさせ、時間をスイッチさせ、コンテンツにメリハリがついている・・・・というのは学ぶべきことが多いように思えた。

(3)社会派であり重心があると思った。これについても、よく巷に溢れるコンテンツの多くが誰かのコピペの変数をいじったものだったり、まあ凡人が作ったものだな、というものが大半だが、そういう商業的なエコシステムの中にあるからこそ、こういう「重心」がある、「自分の言葉をもっている」「人の変数変えコピペでない」コンテンツというのは、「自分で考える能力の高い」「教養の深い」「能力の高い」「クリエイターらしい」ものであるといえ、よく商業漫画の世界であふれている、誰かの作ったコンテンツの焼き回し、どっかのキャラの口癖の焼き回し、といった恥知らずな魑魅魍魎の世界とは天と地ほども違うな・・・・と思った。

まあそんなかんじで。



No comments:

Post a Comment