Monday, April 18, 2022

吉野家の「生娘シャブ漬け」発言について

 手元にある情報があまりにも少ないので、そこまで煽られすぎるのもよくない・・・と思う反面、まあ確かに社会通念上もよろしくない・・・とも思った。

ただ、どちらかというとツイッターなどが煽っているように
「とんでもない人間でないクソ野郎がセクハラ発言を公然と行った・・・」
ということではなく、単に想像力が足らなかった
・・・ということだと思うし、AVの見過ぎな気もする。

結局日本は高齢社会で、現実問題としてそこにいるのは昭和を生きてきたオッサンである。そして、コンプライアンスなどが取り沙汰される今日、そういう時代の流れについていけなくなった・・・そういう取り残されてしまったオッサン・・・というのがいるのも事実だ。

あんまり核心を突かない話をだらだら続けるのも(悪い意味で)日本的で好きじゃないから、核心をまとめると以下である:

  1. 昨今の「発言」への炎上は精神性が低く、炎上に加担する側も、炎上する側もそういう意味では同質である。

  2. 経営者は(例外はいても)だいたい人間的には何かしら欠落している人が多いし、そういう人を淘汰する風潮が必ずしも社会にとってプラスなわけではない。

  3. 比喩表現として用いたならば、単に教養が浅かった(言葉が選べなかった)だけの可能性はある

  4. 吉野家・・の企業戦略としてみたときに、女性をターゲットにするのは厳しいと思う

あえて 1. で大岡裁きを気取ってみたのは、この「発言→メディア拡散→炎上」というループそのものが、どちらの側としてもレベルが低いということである。
「発言」はコンテクストの中にあり、人間とは完璧な存在ではない以上しゃべっていれば人を傷つけるような失言をするのが等身大な人間である。だから、そういう発言が公に容認されることはだめであっても、そういう発言をする人間自体は「言論の自由」によって基本は許容されている。
今回の吉野家のケースは、「女性を牛丼にハマらせたい」といえばいいものを不細工で無教養な表現しかつかえなかったという事故みたいなもので、そういうものは本来大きく相手にすべきでも、騒ぐべきでもない。
むしろ、「ちょっとでも下手なことを言ったら総たたきに合う」という集団心理・共同幻想を日本社会で運用し続けた結果、われわれはしゃべるときにいちいち前置きで防御・言い訳したり、のらりくらり何言っているかわからないような「スカスカ」な日本語を使わざるを得なくなった。

「〇〇、じゃないけど、XXX」

というかたちで、「じゃないけど〜、というとおかしいけど〜」という形で言葉尻をとられるまえの事前防御をすることが現代の日本語に仕様として「組み込まれてしまった」。

無論何事もバランスだし、橋本元知事のウクライナについての産業廃棄物のようなツイートが延々と発信されるのも、反ワクチンというカルト宗教が淘汰されないのも、これもまた「言論の自由」ではある。

人種差別発言・・・などは、それが実際に人種的マイノリティへの暴力への入口になる・・・というより、それ自体が暴力であることから現代社会では認められていないが、

「生娘をシャブ(=牛丼)漬けにしたい」

というかなり変わった表現についてどう反応すべきか・・・で、個人的にはあまり感情的な反応をすべきでは無いと思う

というより、これくらいキチガイなところがあることが、ある意味では役員クラスの特徴なのかな・・・とも思う。

こういう恐るべきコンプライアンス意識の無さ、無教養さ、バカさ・・・は、日本のスタートアップの経営陣にポツポツみられる現象であり、それはそれで本人の天才さと相まっていい意味での偏り・・・な気もする。

ただ、2. そういうものにいちいち社会的制裁を加えていった先にあるのは「日本という国家の衰退」であるような気もしていて、毒にも薬にもならない、失言を一ミリもやらない岸田さんみたいなリーダーで日本が埋め尽くされることがよいことなのか・・・?とも思うし、そもそも、日本のネット社会における(これは小室さん関連もそうだが)「メディアが自分たちを神だと錯覚している現象」というのが社会をよくするとは一ミリも思えない。

そもそも、高齢の世代の人で本当に今のコンプライアンス基準からみると「終わってるような」人はたくさんいて、そういう人の発言が、まあ狭いスコープで抹消されることこそ大事なのであって、

いわゆるゲーム実況者の女性と身長170cm人権問題然り、

「それをメガホンで拡散して問題にしたいの、おまえでしょ?」

という感じが否めない。それがその狭い場所で閉じられていれば、本人が恥をかいてその場で終わるものを、ネットで拡散し、ニュースでみんなに「ほらごらんください。こんなにけしからんやつがいます。やっつけましょう」みたいなアジア的未開的な精神性の情報消費の先頭に立っているのはそういう、クオリティの低い週刊誌とかの記者さんや編集長さんであって、そういう社会にとって1mmの益にならない煽りニュースで金を稼ぐような、そういうプロパガンダの片棒を我々国民が担がされている、そしてそういうのは衆愚政治的なものであって、日本の国力にとっても害になる仕事でしか無い・・・と思うのであった。

3.については、結局このオッサンの使う日本語が美しくなかった、そしてAVを見すぎていた、多くの取締役同様平均的なコーポレート・サイコパスだった、ということで、まあそういうバカなオッサンでも日本の経済に多大に貢献しているわけだから、まあ実際に人に危害を加えない限り、みんなで騒ぎ立てるのは非生産的な気がする。この手のオッサンに失言のない発信を期待するほうがIQが低い。

最後に、そういうアスペっぷりたっぷりな(アスペ=多大な才能と引き換えにコミュ力を犠牲にした人、という定義)発信の真意は、おそらくはこうである:

「女性のユーザーをもっと取り込みたい」

結局これが言いたかっただけではないかと。それで、そのベクトルでいうと、吉野家がこれに着手するのはあまりイケてないと思う。

なぜか?

牛丼・・・というか丼という様式そのものが一般的な女性の嗜好と乖離しているからである。

吉野家はおそらく会社内部も男性社会だから、男子校のノリで今回のような発言も生まれたのだと思われるが、まあそういう意味で吉野家が女性をペルソナにもっていくのは「才能」としても「事業形態」としても困難である。

吉野家は、そもそも回転率重視である。

一般的に、女性が外食に期待するものは「黙々とがっつり炭水化物をとること」、じゃない。

それは土建屋のおっちゃんや大学生くんの需要であって(偏見たっぷりに言えば)、それは女性の求めるものとは180度異なる。

女性が外食に期待するものは「ゆっくり、楽しく居座りながら、お話しながら食事を楽しめる、清潔な環境である」

これは吉野家の方向性とは異なる。吉野家は、チカラめしと同じで、その回転率において女性を(例外は覗いて)ターゲットにはしずらい。

マックですら、ノートとペンで、イヤホンでシャカシャカなにか聞きながら自習できる女子高生をペルソナの一部に想定している。吉野家にそれを提供できる仕組みはない(しありえない)

加えて、丼ものは「炭水化物」を食わせてなんぼである。

はっきりいって、普通盛りでも女性にとっては「不快」なレベルで米が多い。

米をガッツリ食わせるような定食屋に、女性は積極的にいきたいとは、おそらくは思わない。

ついで、健康志向である。健康志向とは、栄養バランスである。
ついで、オシャレ感である。吉野家が汚いということを言いたいわけではなく、吉野家はあくまでも「がっつりと沢山早く食う」ことに特化していて、オシャレ感はない。そういう、雰囲気とかエコシステムを楽しむ余地はないし、それを楽しむのであればこれまでの吉野家の客層とは完全に矛盾する。

事業は、なんでも広く手をひろげればいいのではなく(AT&Tがそれやってどうなったかは周知の事実である)、選択と集中が肝要で、この「広く手を出す」「すべてにおいてオールマイティーな中途半端な多角経営」に拘泥している結果、韓国とかの後塵を拝している。

原材料の高騰もあるなか、あれもこれもは愚策としか思えない。そういうアメーバ式の、ジェネラリストが機能した時代は終わった。

まあそういう意味でいうと、今回の吉野家の取締役の方は、ペルソナをまったく理解できていないという意味ではちょっとやらかしたというかひどいセンスなような気もしなくもない・・・

吉野家が本当に女性クラスタに「中毒的なファンを」増やしたいのであれば、それは別ブランドでやる必要がある。

オレンジに明朝体で黒・・・というのはそもそもデザインで間違っている。

つまり、これは吉野家にとってはいい兆候ではない気もし、まあ炎上自体は中身がないと思いながらも、あんまりよくないな・・・とは思いました。

※個人の感想です。





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