Friday, August 13, 2021

DAIGO氏炎上について、感じたこと(追記)

 DAIGO氏本人が言っていたように、批判している人の大半はホームレスに何かしてあげているのか?というのは的を得た発言だと思う。

無論、DAIGO氏の「ホームレスよりも猫に価値をみとめる」という(本人曰く)主観的発言は、彼の人生の出来事の中で「人間が」より自身に危害を加えコントロールしてきたこと、それに比較して「動物」は自分がコントロールする側のものであり、その意味で自身の存在や価値を脅かさない。(そして、この脅かされる、という過去の経験のが彼にとって非常に大きな暗雲となっている)

ただ、私個人が牧師家庭で、昔名古屋の某教会に家族ごと住んでいた。

そこの信徒さんたちのことを揶揄するつもりはないし、まあかわいいおねいさんとかもいて青春のよき1ページではあったのだが、だが、

いわゆる「重度障害者」が教会に通っていた。

彼は清潔感もなく、コミュニケーションも難しく、ほぼ世間では鼻つまみ者状態だったわけだが、まあ私は頭もぼうっとしていたので、彼のとなりで偶然彼と会話しようとしていた。

そのときに、その教会のなかで偉い人が

「うむ。やはり障害者によりそう姿勢が大事である」

みたいな道徳的満足のコメントを発したのである。

正直違和感があった。だって、この人は直接自分の手を汚したくないわけだし(つまり重度障害者なんかに関わりたくはない)、ただ外野からスポーツ選手に観客がどなりちらすように、

ただ他者が障害者に道徳的にいいことをしている「絵面」を消費して満足したかったのだ。

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これ、日本において結構ウェイトのでかい精神性だ、というふうに(もちろんそんな人ばかりじゃない、と言う前提で)思っていて、

「偽善者」、というとちょっと言葉の示唆する内容としてブレてるから、

道徳的な絵面を消費したい人・道徳的な絵面でマスを描きたい人、でも自分はかなりドロドロとしたドス黒い精神性のある利己的なソシオパス

みたいなかんじの人は、わりと少なくなく実生活において散見される。

だから、「幸せな家族・いい夫」の絵面に固執して、実際は子供に(場合によっては性的な)虐待をしていました、のようなケースだ。これは外部からは察知することが難しく、何十年にもわたって子供の精神が壊されていくことになる。

さて、

「ホームレスなんて死ねばいい」

という命題は、以前にも述べたように偽である。もちろん、DAIGOさんだって所詮はただの生身の人間であり、

人間っていうのは完全とは程遠いがらくたのような存在である場合が(私含め)ほとんどなので、基本は


「〇〇やっちまいてぇ」

「〇〇死ねばいいのに」


みたいなことを、普段思ったり、反応として精神内にその形象を構築したりするだろう。

これは避け難いことだ。キリスト教ではこれのことを「原罪」(人間が人間である故に避けられない過ちである)とし、人間そのものの本質として規定している。


ゆえ、本来であれば誰でもかつて罪を犯したことが(それは差別でも加害願望でも)あるしそれは一度や二度ではないはずなのだから、


「こいつはけしからん」


なんて本当は言えないはずだ。


まして、自身が手を汚してホームレスと関わり、ホームレスの支援をしているのでなければ(サイコパス・ソシオパスのポーズやアリバイ工作としてではなく、)

そもそもそれに対して義憤を起こすのはやはりなにかしっくりこないというか、

それはスポーツ観戦で選手に罵声を浴びせている客のおっちゃんと基本は変わらない。

無論社会的影響力、というのはありうるので確かに批判は必要だし、公的な露出が多いほどに公的なバッシングも対価としては社会現象的にはまあやむを得ない、とは思うが、


そもそもホームレスに対して動ける人間なんて少ないのでは。(動かないってことは、その現実を黙認しているということで。)


もしDAIGOに正義の鉄槌を下すくらいの素晴らしい徳の高い方なら、ぜひ池袋の駅地下でねそべっているホームレス一人一人に話しかけ、手を握り、風呂に入れ、居住支援や生活保護支援まで一通りやってほしい。


やらないでしょ。


まあそんなかんじで。


(きつくてすみません・・・・・・これは自分に対してのDISでもあるので、ご容赦を・・・)


 


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