1. 高身長がいい(175以上)
2. イケメンがいい
3. 年収は1000万以上がいい
4. 長男じゃない方がいい
5. やさしい
というように、男性の母集団がこの条件を認知したときに、この女性の評価を下げるような(批判の対象となり、この女性を選好の対象から外すような)選好性であることは間違いないが、僕がよく外で聞きかじる女性の会話の範疇では、背が高いというキーワードは割と選好性としては優先度が高いようである。
1、2については社会的ファクターよりは生物学的ファクターが強いように感じる。事実、高身長はオスとしての優秀さを測るのに手っ取り早い尺度である。事実、スパーリングをやっていても高身長の人のパンチはよく当たるし、リーチが長いので有利であるように思われる。もちろん、身体能力と身長が必ずしも正比例はしない。だが、直感的、統計的には正比例している。(僕は例外をたくさん知っているのでこの限りではないことは多いし、じゃあKIDさんはどうなんだよ、という話ではあるが)
多くの女性は男は大きい方が魅力的、というのは割と事実かもしれない。2についても、多分そうなのだろう。昔職場の後輩にイケメンがいたが入れ食いだったようだ。
3、4については社会的な要因が強いかもしれない。また、1、2も含めて、女性の間でのステータスなど社会的な快適さの問題もあるだろう。
ここまでを選好性(A)としよう。
これをリバースしたのが男性の選好性である。
1. 若い方がいい(20代以下)
2. 美女がいい
3. やさしい (自分に都合がいい)
4. 過去の経験人数が少ない(かもしくは0)
5. 家庭的
1については単純に生物学的な保存状態の問題であり、本能的に若い方が魅力的という風にインプットされている。また、結婚をする場合、多くの男性は5年後、10年後の相手の保存状態を想定する。なので30の女性を見たときは40の時の相手を想定する。
また、4にも絡むが、年齢を重ねると過去の経験人数もそれに正比例する、と考える(特に自由恋愛市場では)。過去の男性経験20人の相手と、過去の男性経験3人の相手ならば後者の方が生物学的精神的価値は高い。
1、2、4あたりは男性同士の社会的ステータス(虚栄心)も含まれる。
ここまでを選好性(B)としよう。
そして、これら選好性(A)と(B)は対照的である。どちらの本音も反対のサイドから見ると「気持ち悪い」。だがその気持ち悪さの根幹は自身の存在理由を否定しうるからなのでは?
ちなみに、一緒に会話していて楽しい、とか、精神的なレベルの選好性は建て前の可能性が高い。こういった、相手への条件、選好性の条件のパラメータを最大値まで振ってしまうと、身もふたもないものになってしまう。一言で言うと、「理想が高い」のである。(トランプ夫妻とか見てるとわかりやすいよね)
幸福な交際や結婚をする人は完璧な相手像を追いかけるゲームからは離脱する。条件ベースの選好性は相手を商品として考えており、(そしてそれが多くの人間の実存とか業であり)、そのような尺度でコップを満たそうとしている。それと対象的に、幸福な人は大きな石を2、3個相手から見つけて、それをコップに入れて、よしとする。それは、現実的であり、持続可能であり、尊い。(子供を見栄を張るための道具にすることもなくなるはず)
ここ最近のジャニーズの不祥事はこれを明確に表している。ある意味で言えば、彼らは愛を手に入れるというゲームでは敗者となってしまった。そうすると大きな石はもうなくなってしまったので、あとは若さが優先順位としておどり出る。
さて、ここからが本題だが、漫画家、「漫画家志望(私)」のお仕事はこの、どうしようもない人間の母数に「疑似恋愛」「夢」を与えるお仕事である。相手に対して完璧な(1−5)を満たす異性を作ってあげて、息を吹き込んであげて、排他的にあなたのために提供してあげて、コップに(一時的にではあるけど)何かを満たしてあげる。それでお金をもらうお仕事である。
そのためにどうやったら相手が喜ぶか、どうやったら相手が自分のキャラクターにメロメロになるか、どうやったら自分のキャラで妄想するか、そういったところまでをきちんとコミットしてようやく生活ができる。
そういうお仕事である。もちろんそういうジャンル以外もあるが、なんでアメリカの映画に嫌という程ベッドシーンがあるかを考えてもそれは自明であろう。
そういうお仕事である。
日本は某先進国みたいに大人がアリバイをアピールしないと社会的に死ぬわけではなく、そこには「ヲタ」「腐女子」というバッファがあるので、そこにBLとか、女子高生乱発ビジネスが存在しているだけである。コンテンツ産業の基本のき、である。
No comments:
Post a Comment