※この話はフィクションです。実際の人物、出来事には一切関係ありません
斎藤はそのまんま自己都合退職の流れになるんだろうな。そう僕は思った。
張さんのことが少し気になり始めていた。普段あんまり気にしてなかったし、部署も違ったわけだけど。僕は開発部署で、普段の付き合いの範疇といったら増本と川中しかいない。彼らは僕より何歳か後輩だったけど。川中は京大卒で頭はかなりよかったが、背が低めの痩せ型で、ちょっとオタク気質だった。悪い奴ではないんだけどね。
まあそんなことはいい。張さんに恋愛感情かな、これ。身長は165あたりで結構理想的に可愛いスタイルだ。いいな。もう彼氏いるのかな。ぐるぐるそういった感情が巡る。
それで、僕はジョナサンに入った。少ない給料で贅沢はできないけど、ここで食べるハンバーグ定食が好き。アボガドのやつ。明宏くんは僕と同じ苗字のやつだったけど、でもまあこいつは結構訳ありなやつで、結構重い鬱病を患っていた。
原因はわかっていた。明宏くんの部署に前にいたリーダーの古畑さんが原因だってことはね。古畑さんは明宏くんを徹底的に精神的に虐待した。嫌味を積み重ね、いわゆる反知性的なマウンティングで抑え込む感じ、これは結構辛かったんじゃなかったか、と思う。僕はそいういったことを風の噂で聞いていた。
「古畑さんっていっつも同じ話題繰り返すよね」
「ボケ老人みたいじゃん」
こんな話題をタバコ部屋でしていた。僕はタバコ吸わないんだけど、たまに付き合いで入る。周りからはおかしなやつ扱いだけど。
「古畑さんさあ、」
「ん?」
「前に忘年会で新婚の後輩がいて。新しい子供ができるって報告して、みんなで盛り上がってたんだって。」
「ああ、売中さん?あの人DP部署だったよね」
「うん。でもチーム解体の時古畑さんの下に流れてきて。」
「あー」
「その子供、誰の子供かわからないよねって冗談交じりに言われたんだと。」
「ウヘェ。きつい」
「ありえなくね?」
僕もその場所に居合わせていたから覚えている。あの腹のでっぷり出た中年のおじさんは、笑いながら後輩を侮辱していたんだ。僕は「そんなことない」とフォローしたんだ、けどきっとそれは焼け石に水というか、多分ほぼ売中さんの心への深いダメージをなんとかするには非力すぎた。
「張さんがさぁ」
今ぼんやり思い出してきたんだけど、その時は関心がなかったんだけど。いまになって、僕はこの会話を鮮烈に思い出していた。
「古畑さんと昔同期だったらしいよ」
僕は心に嘘をつけないたちで、明宏くんとは仲がよかったから、古畑さんと「構える」という選択をとった。これは正しい選択か、というときっと正しくはない。それは幼い選択だ、社会的に、もう少し色をつけていえば、「政治的」に、それは合理的ではなく、制裁の予兆だけが確実に見えている。
憎悪を持った大人というのは本当に面倒だ。物語も、おとぎ話も、テレビも、アニメも、みんな綺麗な人間像や、ないしは、簡易化された、僕らの口に入る程度の現実を僕らに消費させてくれる。曲がりなりにも、それらの多くはただの仮想現実というか、現実逃避のための手段にすぎないからだ。
現実は、逃避したとしても、しかし現実は現実逃避よりもより重圧的な、威圧的な存在感を持って僕らの首根っこを掴んでいる。
でも、現実の人間関係というのは難しい。自分が社会的価値を提供せず、ただ存在しているだけで肯定されることはない。社会の中で機能しなければ、必ず否定され、生存の手段を奪われる。ニートも、家族という桎梏、未来を奪われるという桎梏が存在している。
憎悪は、とても強い力だ。しかも、例えばDQNの奴らみたいに、拳で解決することもなく、ただ僕らは、いかに自分が権力があるかを、トサカを広げて大きなふりをしながら、そういう世界で生きていく。だからキャバクラが魅力的なのだ。
明宏くんが虐待されたのは、きっと悪意からではない。
人を扱うに足らなかったのだ。「俺が」「俺がすごい」「お前は格下だ」「俺は優れている」「俺の話を聞け」
これが、雄が進化の上で身につけた「副産物」なのかもしれない。
張さんは若干ホステスの気があった。
彼女は仕事もそつなくこなせる優秀なタイプだ、(という評判だった)が、極めて控えめで自分を抑える性格な印象だ。そして彼女には男性の影というのが一切なかった。
張さんは、そういった憎悪とか悪意とか否定とか攻撃とか、そういったギスギスした社会の中に咲いた一輪の花のようで、(初めは他の女性と同じく雑草にしか見えなかったが、)僕はとても惹かれたのだ。
僕は張さんのことを調べてみることを決めた。
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