Wednesday, June 20, 2018

プロ奢論 〜プロ奢ラレヤーとは何か〜

僕のWeb漫画「共産主義の日常」でも彼のことは取り扱ってみたんだけど、プロ奢くんことプロ奢ラレヤーという面白いキャラクター(以下、オゴくんと呼ぶ)が最近いることを知り、彼のことを僕なりにトラッキングしてみた。

彼はいくつかのことに長けている。それは、

1. 人の話を聞き、理解し、記憶する能力
2. ものを考える能力
3. 自律的にものを決める能力
4. カリスマ性
5. コミュニケーション能力


だ。彼の語学能力についてまで僕が知るすべは無いので、ここでは割愛するが、新しい人間と接することに一切躊躇しない、また、それをストレスと感じないか感じにくい。そして、人からものを吸収する力が強い。といった意味では優れている。

なぜ、彼の周りに人が集まるかというと、まず彼が非日常を提供してくれること(既成の社会的なルールや共同幻想に縛られない)、そして、現状自分たちが感じている閉塞感を打破してくれるんでは無いか、という期待などがあるだろう。

既存の閉塞感に逆立している個体、そして、それで一つの存在が成り立っていて、うまくいっている状態、社会的なステータス(Twitterのフォロワー数?)により、有名人として、影響力を持っている状態。彼にはそういう意味で多々のアドバンテージがある。

批判点

だが僕にはいくつか彼に対して批判点がある。

1. 批判に弱い
2. ドグマが強く、ドグマをバラせない
3. 自尊心が強すぎる

の3点だ。

まず1だが、彼は批判に対してかなり過敏に反応する。本人は目には目というスタンスなんだろうが、スルースキルが無い。与えられた批判に対して、過剰にブロックしたり、通知をオフにしたり、
リツイートして(晒して)それに批判したりというのをずっと繰り返している。これをみていると、正直不毛に思える。ぼく視点からすると、余裕がないように思える。公人(というと俺を勝手に公人呼ばわりするのはそっちの勝手だが俺はそれに縛られないとかいう風になるんだろうけども)である以上、批判に対する接し方についてもある程度大人の対応をするであるとか、批判を受け止める、というのも成熟した大人の在り方なのでは、と思うし、本人はそう成長しなくてはいけないんじゃ無いか、と思う。

2. ドグマが強い。オゴくんの言葉が人に響くという意味でプラスの効果もあるのだが、彼は「決めつけ」ることによってそれを格律とし、(事実それっぽく見えるので)それがカリスマ性の元にもなっている。だからフォロワーさんたちは彼の言葉(非日常)にすがり始める。それはいい。ドグマが悪いとはこれっぽっちも思わない。でも、ドグマはそれ以上疑うことを許されない決まりとかルールだが、それも、反証は簡単にできてしまう。彼の「AはBである」という格律には簡単に反証が見つかってしまうので、結局はドグマをバラせていない(反証に弱い、pros and consがない)

「リンゴは緑だ」と断言して、「いや、赤じゃね?だって….」という反証はおそらく受け付けない。それをすると、「いや、うちはそういう店じゃないんで」になるのだろう。
一貫性についても、確かに一貫性を追求する論は、「じゃあ人は変わり続けるんだから一貫性なんか意味ないだろ」となるけど、一貫性がなさすぎると今度は逆にその人の立ち位置への信頼がなくなることを意味する。何かが変わる時には、変わったことがきちんと明示されねばならないし、変わったことについての説明責任はある。昨日はこんなこと言うけど明日はこんな風にいう、では、それは「俺が王様」と何も変わらない。例えば、昨日はあの子とやりたかったからゴムなしでしたけど、明日は嫌いだから逃げるよ(そして妊娠しても知らないよ、だって知らないし)、と言うのは「可能」ではあるが大概の社会では許されないことだ。一貫性へのアンチテーゼには限度がある。

3. 自尊心が強すぎる。テレビで見て思ったが、彼はある程度ナルシストだとおもう。(自分もナルシストなので、同類は、においでわかる)。それは悪いことではないが、1とリンクして、自分の自尊心が高すぎるため、批判に過剰反応し、それに時間を費やすという負のループに陥る。批判は受け止めるか流すほうが、そっちの方が実は「自由」だ。

以上、思ったことをダラダラと書いて見た。

本人のこと嫌いなわけではないし、別に突撃したりしてるわけでもないので勘弁ってことで。

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