Sunday, July 31, 2022

独創性(クリエイティビティ)を養う方法

 最近、クリエイティビティが・・・というより「クリエイトする」という動機性が低下してきているように思っており、悩んでおる。

いわゆる市井で言うところの「スランプ」ということなのかもしれないが、
おそらくこの「クリエイティビティが落ちた状態」には仕掛けがある。

ここより先の記述はあくまで個人の経験による主観であるから、これが普遍的だと言う決めつけではないが、あくまでも個人の視点からの主観として、備忘録程度に書き留めるものである。

クリエイティビティ(創造性)とは、何か。

創造性には、「合理的・合目的な結束」と、「無秩序のエネルギー」の2通りに分けられると思う。

まず創造性を自然界で観察すると、例えばキリンは首が長いとか、蜂は武力を有している・・・といった「合目的」が出発点となった独創性であり、これはほぼ「線形」であることが特徴である。

であるから、たまたま自分が経験していた問題への主観的な解決(ソリューション)として、そこに「合理」が存在した。

そうして、それが拡散し、受け継がれ、「流派となる」。

もう一つは、「無秩序のエネルギー」である。

無秩序とは、線形の対照であって、つまり合理とは多少対蹠
的なカオスなエネルギーから創造は出てくる。

ただし、これも断続的なエネルギーや「細切れにされた」時間間隔のなかで出てくるものではなくて、

「動」「静」「空」「動」「静」「空」「動」「静」「空」

といった経験と心の流れの韻律から自ずと生じてくるものであって、

それは「自分の頭で考える」ということであって、

この「自律性」というのはある意味で「汚臭のする自我・自己愛・ナルシシズム・価値支配欲」をエンジンとしている。

この自律性が非生産的に空回りする事例も多いが、

ただし、「独創性」の正体はおもに「この自律性」である。

そして、さきも触れたように「自律性」とは「つねに動いている」という細切れにされた時間間隔ではなく、むしろ「スマホ」は脳にとってはある意味で害をなす側面があり、

「ぼ〜っとしている」

「ぼ〜っと地面を見ながら歩いている」

「昆虫を1時間眺めていた」

といった無駄・ある意味では先進国においては忌避され・淘汰されるような仕様のうえにはじめて「エウレーカ」が存在する。

であるからして、「時間が細切れにされるのであれば、人は何者にもなれない」と言った吉本隆明の言葉はまさに正鵠を射ていて、

我々は「インプット」を連続した、無駄を許さないなにかのように考えがちで、

その勘違いの一番良い例が

「動画の倍速視聴」

なんだ、これは今の若者が置かれたある意味での社会的強迫観念にも似ているが、

それはコスパでもなんでもない、

情報の消費をより「浅く」「軽薄に」している側面が有る、(これは日本の若者に限らないが)

そしてこれを私のような中年男性の老害化・・・と捉えることもまた可だが、

しかし時間の圧縮というのは必然的に世界の希薄化・・・をもたらすから、

暇さえあればスマホやSNSに目を落としている世界線というのは、

長屋で刀を抜いた5秒に遥かに劣っていて、

それは「質」としても「世界観」としても「国語」としても劣っていて、

これをどうやって取り戻すか・・・

それは日本の若者が「日本人であること」を取り戻すことだし、

それは中国の若者にも韓国の若者にもおそらくは言えることで、

技術化し、高度に複雑化した大きな世界でより「本質」を見失わないこと、

そのために、意図的に時間を少しのろくする・・・

とか、意図的にアナログにする・・・とか、

意図的な「部分的な」復古主義的ななにかが、

やはり効果的なのだと思うし、

そういうコンテクストで、

例えばベラスケスとか竹内栖鳳が、グラサンかけて世界のあちこちを悠々と旅行して遊んでいたわけではなく、

クリエイティビティというのは飛行機であちこちいってイケてるインスタを増産することではない、

クリエイティビティというのは、ふかわりょうも述べていたけれども「経験を隙あらば写真に収めることでは(写真家でもない限り)」ない、

クリエイティビティというのは「どこどこにいき、なになにをたべる」ということではなく

「感度」の問題である、

換言すれば「感受性」の問題である、

そして現代人である我々の空疎さの根本原因は「世界」ではなく「感受性」の後退が原因であり、

この感受性とは観察力であり、それは自然とのインタラクションとか「ぼうっと」した時間性の延長にあり、

それは時間を細切れにしてあれもこれもにわかな趣味を羅列することではなく、

そういう意味では少なく、太く・・・というのは強い(これは私のコンプレクスでも有る・・・私は広く浅いので)

そういった意味で、

いかに「古い時間」を「新しい時間」と併用して生きていくか、

どれだけ考え、どれだけ感じるか・・・

これがクリエイティビティの柱であって、

それから「臭くて」「膨大な」自我・・・

それは放置していても自ずとおもらしをしちゃう、そういうことですから・・・


まあそんなかんじで。

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Monday, July 25, 2022

AIはプログラマーの仕事を奪うのか?について

 この話題について、先日家族と話していた。

個人的に核心をついたトピックだと思うのと、隙あらばブログを書いてPVを稼ぎたいという私のミーハーな心が合わさり、この機会に個人的な見解を改めて文字としてまとめたいと思う。

私個人の見解では、プログラマーの仕事はAIに置き換えられることは、少なくともここ10~20年はないだろう

というのが私の見方である。

理由としては、

  1. 顧客(政府とか)のリテラシーが、一般的に低いため

  2. かつてより提唱されていたNO CODEなどが、プログラマの仕事を奪う気配がない(ここ10年でそういう実績がない)

  3. AIはプログラマの雇用を(逆に)増やす

  4. 社会の合理性が低いため

  5. プログラマが淘汰されるのは、おそらくは別の要因(不景気など)のほうが現実的だろう

私個人のアイデンティティとか、そういうことでいうと、私はプログラマーをいやいや10年続けてきた(恥ずかしい)たちなので、どちらかというとプログラマー不要論には同調したくなる自分も(感情的には)いるが、おそらくここ10年、20年といったスパンでの(特に)日本社会の動きを定点で観測していったとき、おそらくそれは highly-unlikelyだろうと思われる。

顧客(政府とか)のリテラシーが、一般的に低い
具体的なユースケースとして、例えば日本は高齢社会に突入しており、社長などステークホルダーの多くは(多くは、というと過度な一般化だろうけど)ITリテラシーが低い。
よく考えてほしい。ハンコを押すか押さないかで悶着したり、IT担当大臣がUSBを知らない・・・みたいな世界線が日本の政治なのである。
よく考えてほしい。e-govは使いやすいだろうか。
よく考えてほしい。日本のPOSまわり、なんであんなに決済方法が乱立しているのか(そしていろいろ規格が統一化されていないのか・・・・)
「日本人が」という言い方はあまりしたくないし、そういう十把一絡げの解像度の言い回しがもつ誤謬というのを織り込んだとしても、やはり日本人は・・・日本の企業人は「削る」ということができない人はかなり多い
あれもほしい、これもほしい。あれも実装したい、これも実装したい。
そうしてゴチャゴチャしたUIと脆弱なシステムができあがる、そういったIT現場がゴロゴロ存在するのである。
こういった「仕組み上の」エントロピーというのは、例えば国が発注した案件を多重受けしていく仕組みにも見て取れるし、さきのオリンピックなどでの素晴らしく効率的な予算配分を見ても見て取れる。これが日本なのである。

そうすると、そういったリテラシーの低い人々(でかつ意思決定の権限の高い人)に上手く食い込めば、仕事は潤沢に手に入る。
wordpressやzoom、Slackなどのググレカス、的な程度のことも、コロナでのDXとかの流れで

「zoomコンサル」

「Slackコンサル」

などといった仕事が爆誕するのが日本の中小零細企業のリアルなのである。
それの9割は、必要のない淘汰されるべき仕事だが、それは仕事として存在している。

そして、WordPressで自社HPを創る、という簡単な過程をわからないおジイチャン社長のために、HPを100万で請け負う、それもまた仕事なのである。

つまり何が言いたいかというと、社会の意思決定がメリトクラシー的、ある程度スマートな人に実行権限がいく、という仕組みが日本の企業の隅々まで徹底されないと、洗濯板で洗濯代行サービス、で飯を食える人材は一定数存在できる、ということを意味する。(日本社会にとって長期的にはよくないけど・・・)そして、それはAIに業務を置き換えていったりすることとは真逆の動きである。


かつてより提唱されていたNO CODEなどが、プログラマの仕事を奪う気配がない(ここ10年でそういう実績がない)

NO CODEだけに限らず、いわゆる南アジア(インド)の安い人材にどんどん仕事を取られるだろう、国際競争が云々という議論がすでに太古の昔に行われてはいたものの、現実問題としては「ITエンジニアは不足」という事態を迎えた。
これは先に述べた「ビジネスサイドのリテラシー」の問題もあることながら、自動化やシステム化の先に、さらに新しい自動化やシステム化の要件がどんどん出てくること、
また、車輪の再発明というのはよく企業では行われていることである。
決済プラットフォーム一つとっても、StripeやPayPalだけの独占ではなく、これらをベンチマークしたサービス(企業)が乱立し、彼らが競い合っている。そうするとそれらの企業で抱えたエンジニアたちには常に仕事がある・・・というかんじである。
そして、ブロックチェーンのブームが起き、また近年特に激化しているロシアからのサイバー攻撃への対処など、ITにまつわる問題は山積みであり人材は常に不足しているわけで、ITエンジニアが路頭に迷うのはなかなか難しいことではある。(ただし低スキルであればこの限りではない)

AIはプログラマの雇用を(逆に)増やす

AIはプログラマの雇用を増やすと思われる。これはAIそのものを開発しないといけないからである。そのため、ITエンジニアとして今一番ホットな現場は「セキュリティ」「ブロックチェーン」「AI」となっている。
AIそのものは広義な概念であるとはいえ、例えば個人のブラウザ履歴、およびサイト上での行動などのデータ収集から個人により刺さるプロパガンダ(商品宣伝)を行うこと、顔認識、など今後もIT技術で解決できる要件が増えていき、その要件が膨らめば膨らむほどITエンジニアの需要は増えるのだと思われる。
だから、例えばAIのもつ最も直近の脅威は

  • 事務が要らなくなる

  • レジの人員が要らなくなる

  • 税務署や役所の人員の大量解雇

  • 警察官(ないし軍人)がドローンで半分くらい置き換わる

など非プログラマの仕事をまず食う、というのがおこる(現に起こっている)ので順番としてはまず「非プログラマ」だろう、ということが考えられる。
ただ、これも先に述べたとおり(皮肉ではあるが)ビジネスサイドのリテラシーが低かったり、(顧客)高齢者が多いことで、AIによる快速の置き換わり、というのは難しいと思われる。

プログラマはおそらく最後だろう。(50年後かな?)


社会の合理性が低いため
繰り返しになるが、(特に日本)社会の合理性が低く未だにハンコで悶着しているような風土があり、この機動性の低い社会風土で簡単にAIが浸透するかどうかは不明である。
もちろんこれは人間の既得権益を守っている・・・ということにもなるが、減っていく人口の中でこの点については中国の後塵を拝している、ということしか言えないのかな、とも思う。
また、日本の場合電力不足(エネルギー自給率)の問題もこの「電子化」「AI化」にすべての舵をとることを妨げているきらいはある。
そして、スマートカー・スマートキーなどの脆弱性(物理であるよりもハックが現実的で容易な側面がある)によって、必ずしも「デジタルしか勝たん」ではなく、これらAI(とかIoT)にも当然として問題があること、そしてその問題を解決するのはプログラマになるのである。

ここまでつらつらとプログラマ擁護のようなことを書いたが、
プログラマが淘汰されるのは、おそらくは別の要因(不景気など)のほうが現実的だろう

アップルなどGAFAMが最近新規雇止めや大量レイオフなどを実行した事例をみていると、プログラマが恐れるべきはAIとかインド人ではなく、

「不景気」

である。これに対処するにはスキルセットを増やしていき現場が途切れなくする、PMなどの役割にジョブチェンジする・・・など選択肢はたくさんあるが、どちらにせよ脳死状態で一つのことをやりつづけていればよい・・・ということではないだろう(相当な一流でない限り)

と、ここまで個人的な意見でござんした(もちろんわしの主観とか誤謬もあるとおもいまふ)

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