見出しの通り大してPVを稼ぐつもりもなく、個人的な備忘録である。
先週末、地元西東京を嫁と散歩していた。その日は、とくに着るものにこだわりもなく、なんか着やすい、昔買ったパイソンTシャツを着て外に出た。
パイソンTシャツとは???いわゆるプログラミング言語である。(説明はここでは割愛する)
そして、嫁の小さい歩幅に合わせながらてくてく歩いていると、向かい側に身長180cm?くらいの白人男性がこっちを見てやたらとハイテンションになっている。
そして、いきなり話しかけてきて
「いいTシャツですね〜」
と流暢な日本語で話しかけてきた。
な・・・・なんだこやつはっ!!!
と思った。というより、時期が時期なだけにウクライナ難民の人かなとかも思ったりしたが、実際はアメリカ人だった。
彼は(なぜか・・・)スマホを携帯しておらず、連絡先の交換ができないので本人のメアドを私のスマホに入力してもらい、後ほど連絡・・・
そして、駅のスタバで合うことになった。
**********************************
とまあ経緯をひたすら時系列に沿って喋っても文章量が多くなるだけだし、また、まあ知人の個人情報をべらべら発信するのもどうかと思われるので(私個人のことは問題ないが)、本題にいくと、
銃規制の議論になった。
やはり、人間関係の価値というのは「同一の価値観を持つ」仲間同士でつるむことではない。それは「コンフォートゾーン」であり、「馴れ合い」であり、新たな発見や学びではなく「自分の思い込みをループし強化する行為である」・・・
自分と違う国や人種・・・また、信条の相手(のうちある程度のレベル以上の人)と関わり、話す時、やはり「こういうバックグラウンドの人はこういう思想なんだ」とか「こういう経緯でこういう思想になるんだ」という考え方がわかって面白い。
彼のことは「ジョン」とここでは呼ぶ。
私はこれまでわりと「銃規制」賛成派であった。
これは、そもそも社会というのを性善説で運用するには限界があり、そういう限界が昨今の米国での銃乱射事件につながっているだろう、そして一般人が50ドルでハンドガンを買えてしまう世界線では、「ハンドガン」で殺人を行う人間が出てくることは不可避であり、治安的にも大問題だろう・・・というものであった。
事実昔サンフランシスコのオフィスに行った時、同僚の一人(元刑務官)の趣味は拳銃の収集だ・・・などというトピックがちらっと出たこと、またサンフランシスコのシアターの入り口に(ここに拳銃を持ち込むのはご遠慮ください)みたいな但し書きがあったこと・・・・
私の中で「銃」はやはり特殊な職業の人を除いてもっちゃだめだろ(特にハンドガンは)という認識があった。
この点、彼の意見はまったく異なるものであった。
彼の主張はこうである:
1.アメリカ人は、教育過程でまず銃の使い方についてのリテラシーを教え込む。(人に向けるときは、殺す時。冗談でも人に向けるな)
2.包丁で人を殺すのが一握りなように、銃で人を殺そうとするのは一握りだ。そして世の中の大半の人間が善人である以上、その悪人をみんなで撃てば良い。
3.アメリカで銃規制してもメキシコから拳銃を持ってマフィアとかが流入してくる。その際にこちらが無防備なのは意味をなさない。
非常に雑なまとめ方をすると上記になる。
確かに、われわれが各国内のニュースを外国人として目の当たりにする時、「外れ値」が恰も全体であり日常であるような錯覚をしがちである。
2.については個人的には同意しかねるところがあるが、私個人がアメリカに滞在した期間がせいぜいトータルで1年半程度・・・である以上、現地の彼の感覚がより正しいのかもしれない。
ここで、特筆すべきは「アメリカ人」(というと語弊があるが少なくともわりと銃賛成派のアメリカ人)の「徹底的な自由」の概念だろう。
ぼくら日本人は結局敗戦のあと、まるでお目溢しをもらうように「米国式自由」をもらい、享受した。
無論巷にあふれる気持ちの悪い米国陰謀論は唾棄すべきスパムだが、
それでも日本人の中から日本人の風土の中で生まれ育った「自由」ではなく、日本人はわりと「土管」的に米国の「自由」を中継・コピペしているに過ぎないので、日本人にとって「自由」とは借り物である。
(日本は江戸時代など性表現の自由やおおらかさがあり、むしろこれこそ日本独自の文化であり美徳であると思うが・・・)
だが、米国の自由は「銃を持つ自由」も含めた徹底的な自由である。
むろん諸々なタブーはあるが、しかし「自らを武装する自由」、「警察を信用しない自由」、という
レッセ・フェール的なマインドが根強くその魂の根幹に埋め込まれているのは非常に「面白い」と感じた。
一方の中国は完全な「父権主義的」国家であって、
個人の自由とは対局にあるが、この「父権的」な共同幻想の「ラインを超えない」限りは楽しく生きていくことができる。
ただ、ある意味で中国もレッセ・フェール的ではある。
このレッセ・フェール(最小国家)さはおそらくは国土の大きさや人口と比例しているような気もするから、物理的に無理なのかもしれない(格差を最小化することが)
その反面、
日本はある意味では中国よりも社会主義的であり、米国よりも中途半端な自由の概念をもっている国として、
まあそれも面白いな・・・とは思う。
まあそんなかんじで。
いろんな背景の色んな人と交流するのは、面白いと思いました。
ちなみにジョンはエンジニアになったので、定期的につるむことになりそうです・・・・
No comments:
Post a Comment