Tuesday, May 3, 2022

サイバー攻撃は、やられたらやり返すべきか

https://www.sankei.com/article/20220502-VISU7S4DU5NG7EYB63FJLIJLBI/

個人的には、「おおまかには間違った感覚ではない」が正しい。

非暴力がだいじだ、暴力がだめだ

という我が国における風潮は、戦後ドイツと対を成していて、日本人の(悪い意味での)01の感覚に近く、これを盲信するのは必ずしも正しくない。

例えば、「日本が攻められたら、そのときは僕らは死んで、日本という国があったという美しい美徳云々・・・」という主張をする人がちらほら見られるが、これは三島由紀夫が指摘しているように、「一億玉砕思想」がそのまんま左にリバースしたものであり、つまりこれが(宮台先生ふうに言えば)「日本人の劣等性」とか、または「13歳性」というものでありこういう意見とまともに取り合うのはよくないと思われる。

結局、ロシアが今回世界によく見せつけてくれたように、

  1. 情報戦」=「嘘情報を執拗にSNSでばら撒き、保守になりがちな頭の悪い層(老人とか)を洗脳し民主主義国の世論のブリーチを狙う」

  2. 「ハッキング」=「民主主義国の民間企業等にめちゃくちゃサイバー攻撃を仕掛ける」

  3. 「脅し」

という3つの方法に執拗にコミットすることが最も最適解なんだ、という見本を示してしまったんだと思う。(1についてはトランプ当選とかブレグジットで英米人は痛い目を見ている)

つまり2022年現在、「戦争」というのはより複合的になっており(これは喬良氏らの「超限戦」でも触れられているが、

「サイバー攻撃のオフェンス能力を否定する」

というのは、「やられる側にまわりますよ、占領される側に回りますよ、殺される側に回りますよ」といっているのに等しい。

別に個人のすばらしい倫理観や道徳観で反対されるのは構わないが、僕らや僕ら家族の安全まで巻き添えにするなよ、とSNSなどで流れてくるTLを読んでいて個人的には思ったりする。

ただ、その一方で、そういう言い方だけだと少し意地悪だから、50%は間違ってもいない、という言い方もできる。

つまり、これまでの日本がそうであったように、結局

ヤレー、ヤレー

という国粋的なスタンスっていうのは悲惨な結果を(直近で)招いたから、まずこれってそもそも戦い方としてもあまり賢くないのでは・・・とも思ってしまう。

サイバー攻撃を「やり返す」

という発想の時点で少し論点がずれている。

サイバー攻撃は、常日頃やっているべきものだ。

それで、地政学的脅威の国のいろんな企業のシステムを日常的に嗅ぎ回ったり、ランサムウェア仕掛けてみたり、いろいろ、国お抱えの「そういう」選りすぐりのエリートハッカーが集められたユニットがやるべきであって、

そういう日頃の攻撃の実績がなくて、

「やられたときに、やり返す」

はちょっと認識が甘すぎるというか、ちょっとなあ・・・と思ってしまうのであった。

熊谷徹氏も述べているけど、イスラエルの軍でサイバー部隊についたルーキーがまず与えられるミッション(宿題)が、敵国のサーバーを攻撃する・・・というもので、もうここで既に高市さんの認識の甘さが浮き彫りになっているというか、そもそも「そういう人材育成と、そういうオフェンスにコミットする」という軍事的なリアリティの感覚がまだないような(誤解かもしれんが)印象をうける。少なくとも、歴史を見る限り、戦争の世界において「俺はまだ本気出してないだけ」はそのまんま「死」を意味する。

だから、日本はもう少しエリートを養成することに真剣になったほうがいいと思う。

いわゆる反エリート主義というのは、多くの場合「実績を伴わない」人間の「自己肯定」のための儀式だから、そういうのはVR付きのDVD鑑賞のお店でやってもらうとして、実際に戦争で明暗を分けるのは「エリート」をいかに育てるかである。

で、今民主主義国とそうでない国の間で前者がもっているハンディキャップは、

オフェンスもディフェンスも向こうに大幅に(法整備的な面など含め)遅れているということだから、そういうのはまじでちゃんとやったほうがいい。

だから、変な倫理観をかざして「攻撃はだめだ!」みたいな世論に足をひっぱられると日本が物理的に攻められるためのローションが塗りたくられるだけになるので、きちんと、もう少し、ハッカーを大事にしたほうがいい。

また、もう少しメリトクラシーにコミットしたほうがいい。

つまり日本はもっとアメリカ寄りになったほうがいい、というのも、結局そういう非合理による美徳とか、未だにブルーカラーとか軍隊の制度をホワイトカラーでも後生大事にしているから、いろいろな場所で合理的な決定が阻まれてしまう、結局、アイン・ランドの「Atlas Shrugged」じゃないけど、ああいう「無駄のない合理的な世界」がもう少し全面に出ないと、「変化を嫌う」人間が淘汰されないと、

日本ってよくならないんじゃないかな、と思いました。

以上、個人の意見でした〜

マンガかいてます〜


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