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が、要は若いユーチューバーの青年たちが、近年あった撮り鉄の暴力事件をきっかけに、彼らの迷惑行為を取り締まろうという企画の動画が、炎上した、ということである。
個人的な考えとしては、
(1) ユーチューバーとして斬新な企画を考え、行動しチャレンジしたことは評価に値する
(2) ただ、撮り鉄という集団自体に対しての偏見(気持ち悪い、など)を助長している意味で、撮り鉄(彼らもネットでは相当数健在で、行動力も高い)やオタク、といった層からの反発を買う、までの想像ができていなかった(これは失敗)
(3) 尖ったコンテンツで、あくまでもオタク差別というスタンスは一つのコンテンツとしては成立する(それの是非はおいておいて)が、結局ネット上の攻撃などに屈して、やめてしまったところが中途半端でよくない(だったら最初からやらなきゃいいのでは・・・)
(4) 日本の炎上の仕方は、とくに殺人や犯罪をおかしているわけでもないのに村八分、というか再起不能なまで執拗に追い込んでやろう、という民度の低い人間が目立ちやすく、これが日本社会にとってはかなり有害な要素をもっている(木村花さんへの攻撃しかり)
(5) 結局大きな行動をとろうとすれば失敗したり、特定のクラスタに不快感を与えることはよくあることなので、そういうところに想像がいかなかったバカさ、はまあよくお灸を据えるとして、また再起すればいいし、そういう社会じゃないと結局最後は国際競争では負ける、という所感である
(1) ユーチューバーとして斬新な企画を考え、行動しチャレンジしたことは評価に値する
まず、その是非こそあれ、
「ルールを逸脱した(そして暴力事件を起こした大元である)撮り鉄という集団に注意する」
(もう少し正確に言えば撮り鉄のなかにいるモラルハザードを起こす一部の集団、だが)
ということをテーマに実際に行動を起こした、のはこれはチャレンジとして評価に値する。
もちろん、
「オタクだし弱そうだから俺たちにビビるだろう、コントロールできるだろう」
という驕りというかそういうかんじがあったのかもしれない。
なので、もっと強いところにいけば心象がよくなったかもしれない、とかそういうことは思うのでツッコミどころはあるし、この手の若者は往々にして自分が強いと錯覚している、という意味では実はパワー系鉄オタと似通ったところがある。
本当に強い人間は暴力の自己制御、すなわち自分をコントロールするということに長けていて暴力の安売りはしない。
ただ、若いお兄ちゃんや暴れる系鉄オタは、若いお兄ちゃんについては若さゆえの驕りから(これは世代特有のものであり、私も同じ驕りをかつてはもっていた)、鉄オタ側はいわゆる「アスぺ傾向から自分が強いと錯覚しやすい+コミュニケーション能力の低さ」から、それぞれが「自分の力について錯覚しやすい」
(また、ここで述べている「アスぺ」という揶揄は「アスペルガー症候群を患っている、」という病理学的な意味ではなく、「アスペルガー症候群の症候群のうちより他者の感情を察知する能力が0であり、さらにその特徴が他者に実害を及ぼすもの」を抽出している意味であり、アスペといわゆるアスペルガー症候群は同義では、ない)
ということだと思う。
ただ、これを「若い奴はだめだ」「鉄オタはアスペだ」
というふうに一般化するのは正しくない。
そのうえで、この若者たちが傲慢だったことは確か、だが、
それでも一つのテーマと仮定の元に実際にフィールドワークをして面倒臭いヤツに絡む、という行動力は評価してもいいと思う。
もちろん駅員の仕事を増やしたり軽蔑的な態度というのはお世辞にも心象がよいとはいえず、そういう意味では彼らにも改める点があったのだが、それは今後改善すればいいだけの話だ。
(2) 撮り鉄という集団自体に対しての偏見を助長している
確かに撮り鉄(の一部)が起こす社会的な弊害はある、と判断するのが妥当だと思う。ただ、これは一部は日本の行政にも問題がある。女性専用列車と同じく、「ファジー」で法的根拠や制裁までの一つの流れを定義せず、
「協力」「お願い」
という
「法的には根拠も薄いし制裁はできないけど、でもまあ、わかってくれるよね?」
という性善説に基づいた「甘え」、がそもそもの問題の根源だからだ。
確かに9割の人間はルールを守る、という意味で日本は比較的特異な環境ではあるが、逆を言えば1割がものすごく大きなインパクトを与えやすい、とも言える。
なのでもし迷惑行為をする撮り鉄(これは大声も含む)に対してある程度厳格な罰則を与え、刑事事件で対応するくらいの強行策をとればほぼ解決する。
ただ、日本はそういう意味ではとっても優しい国なので、つまり法的な根拠のなさ、によってこのような事態が放置されている、とも言える。
(3) オタクバッシング系のコンテンツ自体は違法でもなんでもなく、それ自体は誰にも咎める権利のないものではある。ただし、バッシングに屈したのは不恰好ではある
個人的にオタクは文明を支える尊いものだと思っているし、僕自身はオタクという属性自体はリスペクトしている。
ただ、オタクを揶揄する連中が自己のコンテンツでオタクを揶揄するのは、言論の自由の範疇であって誰が口を出す権利も、本来はない。
ネット上の集団・個人からの嫌がらせなどについて、「ほぼ再起不能なまでに」法的な制裁を課してしまえばある程度炎上にともなう治安は解決する。多くネットで攻撃的活動的な主体は闇を抱えており、彼ら自身もある意味では脆弱(ナイーブ)な存在であるが、彼らが多くその攻撃性を発揮しやすいのは確固とした法的な制裁(consequences)が見えにくいからであって、これは司法の問題である。
ただ、それを加味してもこの若者たちはすぐに折れてしまったのであり、
「中途半端だな・・・・」
と思ってしまった。そもそもネットで殺害予告をする人間の9割9部が殺害をする度胸など持ち合わせていないし、ただ自分を大きく見せて普段もつことのできない万能感を得たいだけ、である。
申し訳ないがもう少しタフだと思っていたのにだったら最初からやるなよ・・・・
と思ってしまった。
(4) 日本の炎上の仕方は、とくに殺人や犯罪をおかしているわけでもないのに村八分、というか再起不能なまで執拗に追い込んでやろう、という民度の低い人間が目立ちやすく、これが日本社会にとってはかなり有害な要素をもっている(木村花さんへの攻撃しかり)
私がきちんと言葉を選べないから、多くの場合意図せぬ人を傷つける可能性があるのであり私も改善しようとは思っているのだが、他に言葉が見当たらず・・・・
これは日本社会の「土人」的な側面であり、悪い意味での「アジア」的な精神的後進性であってこれは韓国にも同様の弊害があるように思われる。
この動画内で若者たちは調子に乗っていた、ことは確実だ。
ただ、それであればがっしりしたガテン系のにいちゃんにしばかれる、みたいなことならまだしも、暴力を行使する能力に圧倒的に欠け、しかしながら「自分は暴力を行使できる、俺は強い」と錯覚したような人間が自分の万能感を発散する場としてネットで炎上に加担する、というのがSNSやユーチューブのコメントでかなり目立つ、ふうに思われる。
申し訳ないし、おそらく本来の単語の意義ではないと思うが、事理弁式能力の欠如したようなコメントで溢れかえっているし、それも執拗である。
本来であれば人間の失敗というのは許されるべきだし、法律を犯してもいないのに個々人がかれらに私刑を加えるなど言語道断であるが、ネット上での「炎上」は止まらない。
また、YouTubeというプラットフォームが外資であることもこれに拍車をかける、という意味では21世紀の闇でもあると思う。
多くの場合、自分と相手の距離感が把握できていないし、自分と相手を区別できていない。
ただ、そういう「土人」が目立ちインパクトをもってしまうのがネットだし、自分もその「土人がわ」にヘタをすると行ってしまう危険性すら、ある。
ただ、ここまで行ってしまうと炎上に加担する側にあまりにも厳しすぎるコメントなので、他の要因としては、
「非寛容・器の小ささ」
がよりコロナ禍によって加速している、というのももう一つの原因かもしれない。
多くネットで攻撃的になる人間は余裕がなく、何かしらの問題や鬱屈を抱えていてどこかに自分が「正しい大義名分で」他者に加害行為を行える機会を窺っている。
この心理性は、純粋な悪意というよりもそういう心理状態になってしまった不幸な状態である、とも言えなくもなく、社会全体で解決していくことが望まれる。
(5) 結局人は失敗をする生き物なので、失敗=再起不能 というのを当たり前のように思うような層の「圧」が高いと社会は発展しない。
新しいことを挑戦して、その結果失敗したり炎上したり、ということを通じて人は学習するのだし、次のステップにいったり成長できる。事実成功した経営者などで何度も破産している人は少なくないのであって、
「こいつ、けしからん!!!!!!」
といってネット上で誹謗中傷を執拗に行う、というのは貧しい人間特有の挙動であって、それは幼稚園の騒音で怒鳴り込む老人のように非生産的で、社会を疲弊させ、衰退させていく。
その正義にはおおよそ中身がないし、中身がない正義だからこそより加虐性をエスカレートさせやすい。
とまあ個人的にはここまで思いました。
これもあくまで個人の私見なので判断はみなさん一人一人にお任せします。
ゴミのような「正義」のクレームの山によって教育現場が崩壊したように、また
TV番組がクイズだらけになっていったように、
自分の行為が「害」だと自分で気づかない一人一人が社会を傷つけていく、というのはよくないと思います。
よく知られている事実として、一般的に、
若者は生意気で傲慢でバカで自分の実力を錯覚しがちですが、
だからこそ社会全体でそういうバカで生意気で傲慢の勘違い若者を守り、育てていくことが重要であると思います。
また、撮り鉄界隈の人たちも、
自分たちも、周りの人間の寛容によって成り立ってるんだから
自分たちも、ある程度周りに対して寛容に接するのが、
それが大人ではないでしょうか。
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