2回くらい繰り返してみた。感想を述べてみたいと思う。
1. 主人公は日本に二世で住む在日外国人(在日北朝鮮・韓国・アフリカ系)で偏見や差別を受け葛藤をしている
2. スポーツに出会うことで、新たな社会と、輝く自分を手に入れられる
というストーリーだ。
個人的に考えたことをざっくりまとめる。
1. 主人公が人種的民族的マイノリティなので、狭いターゲットの購買層を狙っている、というのが少しビジネスとしては謎(例えばCAPCOMが北米やヨーロッパを主眼として主人公白人にしているような動機と矛盾する)。大きなパイを狙わないということは、やはりメッセージ性を重視したという感がある。
2. このメッセージ性は、ある見方ではプロパガンダ的と揶揄される可能性はありうる
3. また、全体への統合というよりはマイノリティの中で「閉じる」という(少なくともCMの尺だけで切り取れば)解釈もすることができ、まあそれが一部の視聴者の反感を買うのは予想はできる。
4. 一方で、映像作品としては「面白い切り口だ」ということもできる。あえてマイノリティを主人公として視聴者の関心をぐっと引く、というのは観点としては面白い。
5. スポーツじゃなきゃマイノリティの問題は克服できないってことかよ、という批判があるが、ナイキはスポーツの商品を売ってるのでこれは少々的外れかもしれない(ナイキが切った世界観であるから)
6. ここでみられるマジョリティの反感の中には、おそらくはマイノリティへの「恐怖」と「過剰反応」があるようにもみえる。先進国で差別に対するコンプライアンスを意識しましょうね、っていうのはわりと当たり前のテーマのようにみえ、なぜそこまで敵対視するのか... という意味では少し被害妄想にも思える。
7. おそらく「マイノリティがメディアをハイジャックして自分たちの利益を最大化し国を乗っ取るようなプロパガンダをたんまり蓄えた金でやっている悪の権力」みたいな、ある意味で第二次世界大戦の時の対ユダヤ人的な恐怖感や陰謀論的な世界観がどこかにあるのではないか、とも思える
8. 「世界に対して日本があたかも差別をしているように映るじゃないか!」は自意識過剰である。確かにかつて某新聞社が海外に嘘八百を垂れ流したスキャンダルはあるが、まずそういうのはoutlierであることと、差別そのものは世界共通の問題だから「世界様にこうみえる」的な自意識過剰な、他者にどうみられるかを執拗にきにすることによって自国のアイデンティティの輪郭を描くような精神的未熟性としての日本意識、という病理しかその考えにはみえない。
マイノリティを包摂する、差別に対して問題意識を持ち、より差別のない世界にする(「逆差別!」という過剰反応を脊髄反射する前にいったん差別のない世界にきちんとコミットする)、こういったことは至極当たり前のようにも思えるし、こういったものを包摂する「余裕」がない、
ということは、その余裕のなさそのものが我が国の没落を暗喩しているようにもみえ、個人的には悲しい。
僕個人の経験としては、大学を卒業してすぐに塾の先生を契約社員でやった。中学生を主に教えていたが、担当していたクラスに在日韓国人の女の子がいた。
僕は彼女を駅からタクシーまで送るということを(なぜだ???)やらされていたのだが、そのときに、ひょんな調子で「〇〇ちゃんって学校どこ?」ときいた。
彼女は
「それ、きいちゃう?」
と少し悲しそうな顔で、目を落としながら話した。
13才の年頃の女の子だ。オシャレもしたい、恋もしたい、ふつうの子供だ。
後で知ったが、彼女は朝鮮学校に行っていた。
彼女はほんとうにすなおなただの子供だったので、一旦僕が「やさしい」(少なくとも態度振る舞い雰囲気は)教師だ、と心を許した瞬間、
朝鮮語の国語の教科書をみせてきたり、KARAのフォルダをみせてきたりしてきた。
..........
かわいかった。
ただし、彼女も辛い思いをしていたようだ。
事実、後ろにいた男児のガキンチョどもが、彼女の国籍をなじるようなからかいをよくしていた。
「チョッチョル、チョッチョル」
みたいな、(侮蔑的なニュアンスで)朝鮮語を模倣した意味のない言葉を発して、まあようはバカにしていたわけだ。
子供のそういう態度は大人のそれの映し鏡である。
こういうマイノリティ当人であることによる辛さ、というのは当人にしかわからない辛さであり、心の中の葛藤でもある。
あらゆるものごとについて想像力が足りないから、勝手に敵を自分の頭の中で作り上げているっていう残念なことは、よくある人の過ちである。
だから、
「マイノリティが、僕らを引きずり落とそうとしてる!!!!許せない!!!!」
といったノイローゼ的な反応が、ぼくにはどうも腑に落ちない。
結論として、炎上は過剰反応だと思う。
「こいつらはこうに違いない」的なレッテルを貼るまえに、まず相手をよりよく知る努力をするのが、成熟した大人の姿勢ではないだろうか。
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