Saturday, December 19, 2020

中田敦彦さんの「たくさんの本を早く読めるテクニックについて」


話の内容自体については概ね全く同意できない、という結論に至った。
だがしかし、中田さんのトーク力とか、プレゼン力みたいなのは常人を逸した優れたものがあり、それはみていてすごいな、と思った。(話の構成とか見せ方が面白い、さすがは芸人)

いわゆる巷に跋扈する速読術、が現実的でないよ、というくだりはまさにその通りだと思っていて、ただし、

本を読破する必要はない、というところには同意ができかねた。

確かに一つの主題について限られた時間でまとめる際、自身の目的に沿った箇所を抜き出すという意味では時間効率はよい(Greedy Algorithmか....)

ただし、本によっては一部を消費して全体をわかったような錯覚をしてしまうので、それはよくないんじゃないかと思う。

もちろん、中田さんの言わんとしているコンテクストとしてそもそも読書が苦手な一般層が読書を継続的におこなうための心理的ハードルをどう下げるか、に主眼を置いているのでこの動画自体に罪はないと思う。

ただし、僕の考えでは、本は全部消費するのを前提としたほうがよい。

これは、いわゆる個人のネットでの情報収拾行動と同じく、自身のバイアスによって偏った情報をあつめるようなことをしないため、である。

また、心理的ハードルについてだが、これはとても単純なことで、

「読書を習慣にすれば良い」

ということだ。もう少し言えば

「動画や、スマホ、SNSといったメディアへの接触を最小限にする生活習慣を維持するという決意」

と言い換えることもできる。

これは語学とか、その他もろもろのことについて言え、自身の報酬系をどのようにインフラとして用意するか、ということだ。

パチンコや、ギャンブルや、ピンク系の趣味や、だらだらSNSに依存や、その他「低きに流れる」ものを報酬系として脳回路が記憶してしまうとそこで多くの時間を消費する。いわば、最悪のパターンである。

これは家や部屋の環境がどうなるか、ということとも関係しており、家の中にどの程度本が「積んであるか」(逆説的ではあるが)、家の中にどの程度本以外の娯楽と接触する機会があるか、ということとの相関関係とも言える。

つまり環境であり、不自由による自由である。
子供は顕著な例で、大人であっても、例えば飼育カゴの中に入れたザリガニに餌を撒いておけば勝手にあるだけ食べるように、その「飼育カゴに何をいれ、何を入れないか」

ということが読書へのアクセス頻度の決定的な鍵になる。


話がそれるが、語学などを短期間で強化したい場合に必要なのも「環境」であり、例えば自身のガジェット環境などから母国語を駆逐するとか、そういう手段まで徹底する、つまり不自由によって「外国語」へのより濃厚で恒常的な接触を可能にする。


読書がいちど習慣になれば(習慣というのは、例えばJKがスマホをいじる、という意味合いの習慣であり、背筋を伸ばして気合を入れるという習慣ではない)空き時間に隙があれば本と接触しているわけであるから、読破する、しないという問題ではなく本は読み通せるようになる。

また、本についても、どのような本を読むかも非常に大切である。

ミーハー過ぎるものや、だれかや何かの機嫌をとるための政治的・イデオロギー的な意図が強すぎるもの、極端なもの、出どころのよくわからないものなどは避けた方が良い。

ここでいう中田さんの定義する「知識を得るための読書」であれば可能な限りアカデミックな信ぴょう性の高いものがよい。ここらへんのセンスなどはおそらくは神田とかジュンク堂などはまだ腐っていないので、そこで選ぶとよいのではないか、と思われる。

などなど、個人の思うまま駄文を連ねてみた。

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