Friday, December 4, 2020

脅威について

多くの人にとって、脅威というのは


「自身のコントロール不可能な、自身の生命を脅かしうる外的な対象·現象のこと」


である。つまり恐怖心を起こしうる何かであって、これにはいろいろな種類がある。日本、それも都市部ではよりそれが排除され抽象化されているが、それは


「自然災害」

「路上で歩いている怖いお兄ちゃん」

「ふだんの人間関係で衝突があった誰か」

「病気」

「外国」


などいろいろあげられるだろう。人にとって脅威へのリアクションの態様も様々である。


「怒り」

「攻撃」

「構える」

「懐柔」

「従属」

「根回し」

「コミュニケーション」


脅威について、多くの人がよく理解していないことは、脅威への適切な対処法というのは二つのケースに分けられる。


1. 自身と脅威の間に圧倒的な力の差があるとき

2. 自身と脅威の間の力がある程度均衡しているとき


1. のうち、自身が圧倒的に力を持っている場合、相手を破壊して「脅威でない」状態に持っていくのは合理的な対処法であろう。例えば、


a. 権力のある中高年が若者を「潰す」

b. 家に侵入した昆虫をその場で殺虫剤で「殺す」


などである。


1. のうち、相手が圧倒的に力を持っている場合、


c. 相手から「逃げる」

d. 相手の支配下に置かれ、庇護を得る(相手にメリットを提供し続けていることが重要)

e. 相手との力の均衡を戻すため、自身の力を補完する(例えばヤクザが暴力を手段とした互助組織であるのはこの性質が強い)


2. の場合、脅威はある程度は解消されているが、それでも相手への潜在的な恐怖心、不信感、というものが拭えない状態である。


近現代史でいうと米ソ冷戦がこれに該当する。


米ソ冷戦、および太平洋戦争を材料としてもう少し踏み込んで考えてみよう。


米ソ冷戦をソ連からの視点で見た場合、アメリカは相当な脅威だったはずである。まず西側にソ連照準のミサイルを設置していた。また、太平洋戦争で日本に原爆っていうオーバーキルな兵器を使用した。普通に当時のスターリンの視点でみれば


「やべえ····あれがうちに落とされたらどうすんねん。。。」


となるはずだ。そうでなくてもスターリンは非常にびびりだったので、誰も信じられなくて自身の信奉者ですらも粛清した。


当然の流れとして、ソ連はアメリカに大量にスパイを派遣した。まずは、 e. アメリカとの力の均衡を戻すため、核技術をコピーすること、これが最上の命題であった。この動機については中国も同じである。


その後アメリカはイスラエルと結託して中東でめちゃくちゃなことをやるし、南米でも自分の気に入らない政権のクーデターを支援するためにむちゃくちゃなことをやり(まあその結果としてケネディが暗殺されるのだが自業自得としかいいようがない、自分もカストロ暗殺しようとしたんだから)、そしてキューバはものすごいストレス状態に置かれた。これに一肌脱いだのがソ連で、キューバにミサイルを置いた。


その後さらにバトルはエスカレートし、結局当時ゴルバチョフの下で、ソ連が「大人の対応を」したので(もしこれがなかったら多分アメリカ大陸残ってない)、冷戦は終結した。(まあアメリカはソ連の妥協に対して後でチートしたりとかまあそれはそれはあくどかった)


イラクとイランでもアメリカは無茶苦茶なことをやった。イラクは当初イランと対立したアメリカのために貢献的にアメリカをサポートしていたが、あとになってアメリカは手のひらを返しイラクに難癖をつけてここに大量に最新のアメリカの兵器を投入、大殺戮を行う(イラク戦争)。イランについても、中東の間では「イランが核もつほうが中東の平和になる」という周辺国はエジプトを含めほぼマジョリティだったが、「イスラエル」にとって脅威だというその一点で、イランへのアメリカからのリンチが始まった。


大量破壊兵器などどこにもでてこなかったがイランはぼろぼろに(アメリカによって)破壊され、今でもイランのトップの研究者が(まあイスラエルによって)殺されたのは耳に新しいニュースだ。


アメリカはとにかく自分にとって脅威になりえると判断した瞬間おおよそどこの国でも(西には甘いが)相当なことをやる国なんだ、というのが近現代の歴史である。日本もトランプ政権下になって、スーパーにアメリカ産カナダ産といった肉が並ぶようになり、おかめ納豆の納豆の原産地もなぜかアメリカである。正直ふざけんなといいたいが、これがアメリカのやり方なのだ。


まあいい。話がそれたが、ソ連視点で見た場合、そのスパイ活動の主たる動機がおおよそ e. 自身を保存するために相手との力の均衡を獲得するための手段、ということがおおよそわかるであろう。


それに比べ太平洋戦争での日本はどうだったか。


まず彼らがやったのは、「敵性言語禁止」である。つまり英語をなるべく使わずに、野球でも全部の言葉に日本語を使え、という政策であった。


申し訳ないが、馬鹿すぎる。


つまり、当時(最後焼夷弾や原爆で多くの無辜の民を敗戦で殺すことになるのだが)の日本がやったのは


「対米感情をとにかく悪化させること」

「根性論·とにかく戦争するんだ、異論を挟んだお前は内なる敵=非国民だ」

「状況を冷静に分析しないこと」

「若い仲間から殺すこと」

「アメリカとかまえること」

「自分たちは勝てる!と思い込むこと」


であった。これは自分の敵を見ないで敵と戦っているということである。

戦闘時の日本はこれだけ無茶苦茶で、


本当に勝つ気あんのかよ


って突っ込みたくなるようなお粗末なコンセプトだったのだが、平和時の外交についての世論でも


「とりあえず喧嘩すれば相手をやっつけられるだろう」(勝てる実力がないと無理)

「日本風なニュアンスで、それとなく含んで喋れば相手もわかってくれるだろう(外国人は日本のそのニュアンスなんて知ったこっちゃない、伝わらない)」


というのを繰り返している気がする。もちろん愚策であり、勝ちには一切繋がらない自己満足である。かまえることが必ずしも利益にはつながらないどころかリスクにもなるし、「挑発に乗る」ことが墓穴を掘るってのもわかっていない。


素人が一生懸命にメガホンで政策を語るってのは、とても危険なことでもある。


後者については、最後日本が原爆を落とされる決定的な原因となった「黙殺する」とかいうわけのわからない日本でしか通じないファジーな物言いで、これも自分の首を締めることとなった。


さて、敗戦敗戦とあまり楽しくないことばかり述べてきたが、この敗戦から学んだことがある。


脅威に対して、まず均衡をとること(e)


つまり、2. の状態を確保することである。


一つは、日米安保、最近で言えば集団的安全保障はバンドワゴンなのでこれはまあ基軸となるだろう。(ただ、これが中ソには脅威·挑発として映るので、それへのレスポンスとして彼らが挑発を返す.. のをさらにこっち側が脅威·挑発、ととる... のループになることはある。そもそもなぜロシアが最近になって北方領土で強硬な姿勢に出ているかは明らかにアメリカにびびってるからだろう)


もう一つは、脅威となっている国を徹底的に監視し、学習し、コピーし、均衡を維持することである。


美しい日本国民さんたちのなかでもとくにネットで悪目立ちしている方々は、ここをすっとばして竹槍でもつくりはじめる勢いなので、やっぱり一番怖いのは無能な味方なのかな.... という格言を思い出してしまう。


脅威を感じ、仮にそれが国際関係や地政学的なものに起因するものなのであれば、まずはその脅威のおおもとになりきること、つまり外国語学習というのはまず幼稚園生でもわかるような基本である。それを怠って、悪化させた感情を消費していても最後には負けて終わりなんじゃないか、むしろ国民がもっと利口でないと、いろいろな場面で負けてばかりになるんじゃないか、そう思うのである。


大昔、種子島のケースなどは脅威をまずはコピーして鉄砲をものにした。あの時代は優秀だった。


黒船の時も、明治維新で西欧をコピーし、脅威に均衡しようとした。


脅威を消費して青筋立てていても、最後には地獄に落ちるだけなので、個人的には他山の石としたい。そこには解決策がないから。

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