Thursday, September 8, 2022

小説「既得権益れんみる」

 私の名前は蓮実。初対面の人には「はすみ」と呼ばれることが多いけど、実は「れんみる」と呼ぶ。

私の父はある大きな新興宗教団体の幹部だった。幹部になった経緯は、やはり先行者優位だったらしい。古株だから、既得権益にありつけた、と。

ただし、これは父の口を通してであって、はにかみとか謙遜があったのかもしれない。実態はもっと泥臭い権力争いみたいなのがあったみたい。権力争いで勝ち残った先にある果実はやはり魅力的なもので、年収は1億いった。

豪勢な暮らし。年に何回もヨーロッパやハワイに行った。ファーストクラスで、あっちやこっちを行ったり来たり。そういう生活を、幼い頃からしてきた。

うちの宗教は教祖が「ゴダール様」といって、19世紀にフランスでキリストの生まれ変わりとして地球に降臨したということだった。

アジア圏で主張するよりはブランド的には信憑性はあるけど、やっぱり教団内部にいる私にとってもこれは子供騙しのような、後出しジャンケンのような気がした。

私みたいに、今自分が置かれている環境、すなわち「それが世界の中心だった様な」環境、自分の私的な生活のすべてに食い込んでいたこの「環境」・・・・つまり「絶対」であると教え込まれ刷り込まれてきたものを疑うというのは・・・多分はなかなか難しいことだと思う。

つまり、私たちみたいな集団には強い掟とタブーがあって、人格形成期に「そのような仕上がりにする」過程がある。そして、情報は隔離されていていてゴダール様を揶揄する様な意見は全てサタンによる悪の情報だ・・・という・・・すでに囲い込みが行われていた。

選別と排除。

そのはざまで私は生きてきた。

羽村城子という、小学時代にずっと同級生だった子がいて、私はこの子とたまたま隣の席で、馴れ初めは・・・ぎこちないものだったけど、でも彼女には偏見がなかった。

私が「その手の宗教の子供」だっていう噂は、現実は残酷で、すぐに広まってしまうのだった。

「あいつやばいらしいよ」

そして私は石を投げられた。瞼の上に小石を投げられ、流血が目に入り込んだ。

残酷な同級生たち。

私は唇を噛み締め、宙を見つめた。

羽村さんは、そんな私とつねに一緒に行動してくれた。

トイレに箱ごと捨てられた私のお弁当を、便器から取り出して洗うのを手伝ってくれたのも彼女だった。嗚咽し、ただただその日がすぎるのをまった私と、羽村さんは寄り添ってくれたんだ。

「れんちゃん、うちでおままごとしよう」

昭和55年。私たちは羽村さんの家にあがりこみ、滑稽なおままごとに身を投じた。滑稽でくだらないと今は思うけど、やっぱり居心地が良かった。

暖かかった。

言葉って大事だけど、言葉以上に、自分がいまここでいていいんだという感覚。つまり、誰にも裁かれないという安心感。

それが私の家にはなかった。母親は私が経典の1節を暗記できないと、手を鞭で思い切りひっぱたいた。

「地獄に堕ちたいの、あなた!ゴダール様はヤーウェの意思を継承している、そしてゴダール様は神社仏閣に宿っているのよ!この1節を暗記できない・・・暗記できないんじゃない、れんみる、あんたは暗記しようとしていないんだ」

「ちがうよう、ほんとうにむずかしいんだよう・・・20ページも、こんなに・・・」

「お父さんとお母さんはできた。弟の裕也もできた。なぜあなたにはできない?それは怠慢じゃなくって?甘えるのは罪だ、そう2章22節に書いてある、甘えた代償は煉獄での死だ。そしておまえが信仰に対して不誠実であるということはゴダール様の救いの家系から我々をも切り離す・・・・つまりあなたは私たちを地獄に道連れにしようとしているの?わかっているの?」

ここまでお母さんはものすごい剣幕で私を叱咤した、救いを求める様な目でお父さんを見る。でもお父さんは

「れんみる、俺たちをがっかりさせるな」

溜め息と、侮蔑混じりの笑いを浮かばせて、お父さんはそういった。

そして、お父さんの「いたずら」がはじまった。

この「いたずら」、についてここで紙面を割くのは・・・私の性的虐待の古傷を抉ることになる。そして、私はここに「ゴダール様」を信仰する集団・・・現在ものすごい勢いで政界に進出しているこの宗教を告発するつもりはないし、構えるつもりもない。

それはほぼ不可能だ。現在、告発はほぼ何の意味も持たない。

この宗教集団が「SNSの使用に関する戒厳令」を敷いて信者を犯罪者扱いしたり監視の目を強化させる・・・すなわち自分たちのもつ根本的な「致命的」問題を信者の個人的な「反社会的行為である」とのすり替えを行うか、

SNSを「外注」して、外注した部隊に「ネガキャン」をさせる、

事実私の知り合いにそういう会社に「ネット部隊」として就職したやつがいる、

だからこの宗教団体に私の性的被害を告発することはほぼ無理な相談だ。

無理ゲーだ。

この「いたずら」によって、私は実の父親の子を宿すこととなる。この虐待の間、母親は・・・この事実に気づきながら、彼女は「神に逃げた」。つまり、明らかに異常な犯罪行為が目の前で行われていることを知りながら、固定した現実に対して「自分の知覚」を歪めることで整合性をとろうとした。

そして、それは私だけの問題で終わらなかった。

毒牙は、羽村さんにもかけられることになる。

私が彼女を家に招いた・・・そして、彼女はその「偏見のない」ことが仇となり、私の父の「いたずら」の生贄となった。

羽村さんがその年の暮れに自殺した。

私は世界が黒い塊となり、重く私の上にのしかかるのを感じた。

人はなぜ死ぬのか?

長年の間の疑問であった、が、それは「居場所」をなくするということ・・・もう少し厳密に言えば「居場所」を失うという経験、

大きな深い傷、

そしてその致命的な傷と「居場所の喪失」を継続すること、その人生を未来永劫繰り返すことが

目の前にある物理的な死への恐怖に勝ること・・・・

ゴダール様は私のことを救済しなかった。

宗教というのは、結局「愚かな大人」の「恣意的な欲求を裏付ける」道具、すなわち「自分を神と同一視し、自分が神を代弁しているんだ」と錯覚している幼稚な大人によって「実害」を帯びるものとなる。

幹部。そしてたくさんの富。

そしてその富に飽き足らず、私は父親の道具となった。

私は憎悪よりも悲しさが勝り、それでもこの子を産もうと思った。

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俺の名前は吉村茂。

与党政治家として、清く正しく・・・なんていうのは綺麗事で、政治家だって飯を食っていかないといけない。

岸村さんがいってたけど、票田がはいってなんぼじゃない。

だから、新興宗教だとか、ヤクザとか、そういうこと言っている場合じゃない、手段を選ぶわけにはいかないんだよ。

これ、みんな勘違いしてるわけ。

きれいに、清く正しく、勝てますか?

選挙はギャンブルじゃない、そして結局ドーピングしなきゃ試合には勝てないのが現実だ、

だから「パン」がなければその先はない、そうして俺はゴダール様と手を組んだ。

国益?知らねえよ。

国益ってなんだい。

俺は若くて可愛いねえちゃんを抱いて、吉原に月2で通って「大先生」って褒められて、高級タクシーでお出迎えされて、

料亭でいい飯を食って、ゴルフして。。。。

そう、俺の毎日が煌びやかであればそれでいい。

国民は所詮馬鹿だ。

だから聞こえのいいことを言って、満足させて、当選してから全く別の、本来やりたい政策をやればいい。

ゴダールとか、とくに組織票の力が強いところは絶対に抑えないとダメだ。それはマストだ。

どんだけ綺麗事並べても、当選しなきゃ意味はねえ。だからどんだけ国益を損ねようと、これは組織の論理だししょうがねえ。

多くの国民は自分の頭では考えねえ、

ナチスとおなじで、まじめな高学歴のお坊ちゃんほど、どんな大量殺戮であろうと一度ルールになっちまえばすなおに言うこと聞くもんだ。

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私の絶望はおそらく一般の人には理解できないでしょう。

家庭という閉鎖空間。

そのなかでおこる暴力と、選択肢のないという暴力。

逃げるための足を奪われ、そしてこの教団内で生きていくということ。

そして、おそらくこういった狭い世界で生きていくためには「自我」というのは生存にとっては邪魔で、

つまり私は生存には適しておらず、

「いかに組織のイデオロギーにコミット・同化」できるか、

つまり北朝鮮のような、

そういう人格、それになりきることだけがいいのでしょう。

私は今25歳ですが、この後どう生きていっていいか果たしてわかりません。

ゴダールの教団内部のものとして、

ゴダールを「止める」ことは不可能ですし、

ただことの顛末を眺めるしかないのでしょう。


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