いわゆる原丈二大先生の「公益資本主義」についてでございます。
まあ詳細は原先生の本を読んでいただくとして、個人的な(まじで個人的な)感想・・・ほぼ居酒屋の会話レベルの話として読んでほしいと思います(私自身の誤解などもあるやもしれんので)
公益資本主義は、いわゆる株クラ系のインフルエンサーやそのまわりの人たちからはだいぶDISられておりまして、例えば
「ただでさえ軽視されている日本の株主がさらに軽視され、日本株を買うインセンティブがなくなる」とか、
「海外の投資家がどんどん引き上げていく、日本はどんどん貧乏になる」
といったものが散見されます。
個人的にこういった意見に噛み付く気はないですし、まあそうでしょうな・・・とも思うのであります。
というのも私自身そこまで有識者ではないので、「かくあるべし」という観点からは日和見的なスタンスしかとれませんでげす。
ただ、原さん自身が事実デファクトの資本主義で相当な結果をだしている・・・そして手腕もある方でして、(詳細は本に譲りますが)
その中で、実際に米国市場とインタラクティブにやっていった結果見えていた風景みたいなものもあると思います。
で、事実この人の言っていることには周りの他のファクトとだいぶ噛み合う部分も確かに多い。
例えばバンク・オブ・アメリカの例(これはサンデルの本で例に挙げられましたが)で、会社自体は業績が下がっていて、ベイルアウト(つまり国が介入して救済した)状態にも関わらず役員の給与は「上がった」みたいな不条理があるわけでして、
原さんの指摘するところではROEを上げるために従業員を切り捨て、役員と株主に利益が吸われていく、そういうのはけしからんじゃないか・・・
ということだそうです。
また、四半期決算の廃止も、長期的な目で投資しなければならないジャンル(製薬・医療とか)で、短期で結果が出せないために社会的に本来重要な事業が「潰れる」(体力的に持たなくなる、株主に事業の廃止を迫られる)・・・
とか、まあアンチパターンは確かに(うーん)と思うところがあるのであります。
そして、現在の株主偏重の米国の資本主義はあかんのだと。
たしかに、水俣とか、ただただ神の見えざる手に委ねる結果企業の個々のエゴが・・・(または強迫観念が)粉飾決算とかも生み出したりもするし、とくに環境公害についてはSDGsにマッチするところもあります。
だから、「究極の自由」というのが結局「公益性」をかなり犠牲にしている、という視点で、これは無視できないでしょう。
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また、原さんのいう「医療特区」みたいなもの、そして難病患者を救うための社会的改善、なんかは心打たれるものがありました。
原さんがいうには「長期的に株をもっているほど税は下げるべき」ということも言っているので、公益資本主義のなかでこの「長期保有の恩恵」がわりと浸透していないのかも・・・とも思われました
結局原さんがいやなのは「短期的パルスとしての投機」「(かなりの部分を占める)AIの投資」などで、まあわからなくもないです。
投機をする人に重税を!だけど長期保有は減税ね、なら納得はいくです。
ただ、一点懸念点は、
今の自民党が原さんの意図を100%汲んでくれるかどうか、でござる。
これは、あるいみで「イデオロギー」とそれの「運用」の関係・・・すなわち僕ら人類の歴史上の「業」みたいなものでもありますが、
「原義はとても素晴らしいし理想郷なのに」
「人の手で運用された結果弊害になった」
という例で、枚挙に暇がありません。
「共産主義」などその最たる例でしょう。
「レーニン」の帝国主義も読んだことのないのに共産主義を叩いている人が頭が悪いように、(つまり一次情報をあたる習慣がない=バカ)
本来その「原義」というのは多くの人の心をうち、事実その「原義」が切実に必要とされる社会的背景があり、それを多くの人が信奉し、マジョリティ化するわけです。
でも、ご存知の通り共産主義は人々によって「恣意的に」利用され、結果
「全員が同じ考えを持つべき=違う考えのやつはけしからん=強制収容所・秘密警察だ!」となったわけです。
その悲劇の最もわかりやすい例が今のロシア(メディアガンガン規制)、北朝鮮なわけです。
ここ数ヶ月で、ロシアの化けの皮が剥がれたというか、まあ北朝鮮の親分だな・・・という印象でございます。
でも「原義」はよかった。
原さんの「公益資本主義」も、結局
「日本のもつ弊害の肯定」
「増税の加速」
みたいな、ただ中間層を窒息させるような政策を行う(行わざるを得ない)人の手にこのセオリーがわたると、
ただただ企業を窒息させ、投機家だけでなく投資家まで日本株から引き上げ、結果「日本の企業の力を削ぐ」ようになるのではないか、とも思います。
ただ、これは「公益資本主義」悪し、ではなく、
「公益」というものがふわっとしている以上、それをそのまんま今の制度とすげかえて「野に放てば」、なにもかも理想的な世界になるのかが疑問です。
今は、ただただ「増税」「社会保障費の増加」
になっているように見え、
老人のために若者が犠牲になっているようにも思え、
ある意味では不公平感がぬぐえない。
「公益」っていうのは、コンテクストによっては、ある意味では
「姨捨山」
も公益だったわけで、
まあ個人的に何を公益にするのかをはっきりさせたほうがいいと思いました
優秀な人や起業家が、日本で「やりずらいな」と感じて海外に逃げていけばそれは「公益」ではないし、
まあでもだからといって新自由主義的?な政策じゃあ結局格差はなくならんやんけ、的なこともあるでしょうし・・・
まあ難しい問題でございます
というより、公益の最たるものは「子供」ではないでしょうか。
「老人からお金を削り、」「子供に投資する」。
個人的には、これに尽きると思います。
外国人実習生度も、「公益」ではないと思います。
優秀な人材を「低賃金で抑える」のも、「公益」ではないと思います
公益の定義が、必要だと思います
以上!
(ただし個人のだらだら感想なので、あんまり本気にしないで〜〜〜)
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