もはや昭和ではない。
つまり若者の人口の層が熱い、イケイケな時代は終わった。
もはや昭和ではない。
高齢社会に突入した。
高齢社会の弊害は、高齢者が多いことではない。
高齢者の「意思決定」の重み付けが圧倒的に強くなることだ。
高齢者は、若者の利益を代表しない。
高齢者は多く、頑なである。
高齢者は多く、今回のロシアの例でわかるように、海外のプロパガンダやオレオレ詐欺に嵌りやすい。
つまり、人口減少の解決という観点から、
「高齢者」は国家の意思決定において「癌・ノイズ」である。
ヤングケアラー。まさに悲劇である。
もはや、民主主義は機能していない。
「高齢者」が民主主義のファクターとして居座っている以上、子供に投資なんか「できるわけがない」。
というわけで、「高齢者」を民主主義から間引きする必要がある。
自動車免許同様、一定の年齢を超えたら「民主主義のプロセスから弾き出す」か、
選挙の仕組みを変える必要がある。つまり
年齢層ごとに重み付けをかえる。例えば:
80歳の一票 (選挙人口の30%) = 1×(1-0.3) ≒ 0.7票
65歳の一票(選挙人口の40%) = 1×(1-0.4) ≒ 0.6票
30歳の一票(選挙人口の10%) = 1×(1-0.1) + 0.1(少子化対策ポイント) ≒ 1.0票
20歳の一票(選挙人口の5%) = 1×(1-0.05)+ 0.4(少子化対策ポイント) ≒ 1.35票
もう少し事理弁式能力でいえば「納税額」順に投票の係数がかわるのが明治時代だったと記憶しているが、そういうふうになにかしらの重み付けをしないと、
ポピュリズムが跋扈する
フェイスブックに溺れた老人の「右傾化」・「反ワクチン化」・「プーチン教信者化」・「オウム真理教化」が止まらない。
残念ながら、現行の民主主義はそういう意味で「破綻」している。
皮肉な話だが、中国共産党の方がはるかに「マシ」と言えるだろう。
若者に投資しない。
老人の票を得るために、財源が動く。
子供に投資しない。
そんな社会はディストピアだと思う。
そんなかんじで。(あくまで個人の意見です)
もちろん聡明な老人もたくさんいるが、やはり見る限りマイノリティ過ぎる。
配偶者控除の見直しも何度もなされているが、
こういうこと一つとっても、政治が「若者」を向いていないのが窺える。
どうなる日本。
(ちなみに、終末論的世界観が僕は結構嫌いで、そういうことを唱える人の多くは「終わってんのはお前だけだろ」と言いたくなるケースが大半である・・・・)
今回の記事はだいぶ偏ってはいると思うが、いわゆる世代間の「票の格差」による若年層の「無力感」・・・・そして、社会の意思決定が「老化」しないためにも、今のままだと日本社会にとってはイーロン・マスクが指摘しているような事態になるだろう。
前の原さんの「公益」ではないが、民主主義が「老人世代」が「次の世代に」どんどん負債をリレーしていく世界にするのではなく、もう少し「次の世代」に投資する政治になるべきだと思う。
日本を滅ぼすのは、下手に右傾化したフェイスブック廃人のジジイたちであって、日本を復興させるのは、明らかに「若者」である。
である以上、「若者」がもっと住みやすい水槽をつくることが、日本という国家を繁栄させるための使命である。
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