「エロ」とは何か?
エロを語るさいに、それはエロを観照する行為に焦点があてられるが、これはものごとの一面であってそれ自体本質ではない。
例えば、俺は若い頃イケイケだったんだ、とかあんないい女と寝た、こんないい女を手にした・・・みたいな個人の自己顕示欲と結びついた事象・・・・
はすべてその個人の虚栄の世界である。
また、「おっぱいのでかい女」「性器」といった露骨なもの・・・・
これらは、例えばAVやサブカルでもかなり主流の表現として定着している。
そして、これも「エロ」という一つのワードで括ることが可能だろう。
一般にフェミニストの諸兄が眉を顰める、のはここなのではないか・・・と思う。
それは、本来尊厳をもった一人の人間を、その性によって静的物体化(objectify)するということであり、つきつめたところがその人間を傷つけ毀損する行為(やそれをモチベーションとした精神性)であるから、これはけしからんというわけであり、大いに同意できる。
だがこれが本当に「エロ」のすべてなのか?
僕にとっての「エロ」はこれとはちょっと違う。おそらくは、エロ産業(AV監督とか企画関係者)の考えていることも僕に近いと思う。つまり、
「エロ」とは、そもそもアートの基幹部分である。
近代以降だいぶいじめられてはいるが、これはフロイトの世界観ともマッチするし・・・・まあ、僕の言い方がまずいから、この表現は誤解を招くかもしれないけれども、そもそも生物学的に「性」というのは実際に性行為による脳内に報酬信号をもたらす行為、そしてその報酬を得るための「手段」(すなわち異性を惹きつけるための手段)としての「性」である。
これの最たる例が、「ファッション」である。
わりと後進的な国家や文明圏でこの性=ファッションに対するタブーが強いというのは(つまり髪を隠したりスカートの丈を規制するのは)この性の自由化、にたいしての拒絶感であり、ここについて日本は戦後はアメリカのほうにコミットすることになった。
ファッションとはなにか?それは「社会に対して自分がどのように見られたいか」についての表現手段であり、それの中でも「異性に対してどうみられたいか」という動機性は、すべてではないにせよかなりメインなウェイトをしめている。
ミニスカート・肩出し・へそだしなど肌の露出を増やすことの動機性は(それは「相手が異性という集合体のなかの「どの個体群なのか」ということは重要だとしても)異性への性的なアピールであるし、
男性の衣装や時計やその他ステータスシンボルも、「オンナ」に性的にアピールするための手段である。
ここからずれたものは、あくまでも例外であり(政治的主張とかイデオロギーとかをのぞいては)、「モテ」というのは「異性をより惹きつけたい」という強い動機性であり、それはつきつめれば「エロ」である。
結論を言えば「ファッション」と「エロ」は切っても切り離せないということである。そして、ファッションとは文化であるから、文化とエロも切って切り離せない、というわけである。
これは、動物のオスメスの分岐についても同じことが言えると思う。
例えば、より「オス」らしい、より「メス」らしい・・・などのうち、
オスの場合は社会的資源やステータスをその「エロ」の手段として代替することが歴史的にメインになってしまったが、その反面メスについてはかなりシンプル・・・といえ、
それは「どうしたらより美しく見えるか」という「美」への執念である。
それは、「美しい声」「美しい見た目」「美しい立ち振る舞い」といった視覚情報や聴覚情報をつうじた異性への働きかけであり、
聴覚情報はそのまま「歌」「歌謡曲」へと発展していった(歌は異性にアピールするための性的な手段である)
視覚情報は文化としていろいろなところへと反映していった。
なぜ男性画家は「裸婦」を描くのか?
なぜ浮世絵絵師は春画などという破廉恥なものを描いたのか?
その根源にあるのは「エロ」であり、すなわち「異性をひきつける」ためのさまざまな修飾の部分、
その修飾の部分がこんにちの文化のもっともだいじな根っこの部分なんだ、
だから
「どのようにこの現実をスケッチすればより美しいアートワークができるか」
ここについての動機性が、
アートなんだ、ということで、
そういうところから脱するのは限られた宗教芸術ないしカリグラフィ(イスラムアート)みたいなもので、
芸術のマジョリティは「エロ」とかなりがっつり地続きである、
そして、それは、歴史的に見れば今日の変なコンプライアンスや法意識なんて後出しジャンケンのゴミみたいなもので、
なので
「自国の文化を発展させたい」
「だけどエロは気色悪いから規制したい」
は文化についてほぼ1ミリもしらない愚かな無教養な人間の発言だ・・・・ということになります。
日本に現在残っている右翼の残党など三島由紀夫が生きていたら相手にもしたくないろくでもないモンスターばっかりでしょうから、(楯の会みたいに実際に自衛隊に直談判して訓練してもらうような骨のある自称保守なんていないでしょうし、三島さんみたいに漢文に精通して自分と真逆のイデオロギーの学生と理路整然と討論できるような頭のいい右翼なんて絶滅危惧種でしょうから)
やっぱりそういう人たちが文化にメスをいれたら日本の文化、終わると思います。
まあそんなかんじで。
僕の知る限り「エロ」は「アート」とほぼ切って切り離せないものですから、「どうしたら美しく見えるか」「どういう表現がより美しいか」という鎬を削った日々の研究が、やはりアートの大事な根幹をなすと、思います。
ここを履き違えると、「あいつの表現は破廉恥だ!けしからん!」という声が幅を利かすようになるのかと・・・
やっぱり源氏物語をみんなきちんと読むべきじゃないでしょうかね。
まがりなりにも日本人ならば、江戸時代の春画もきっちりみるべきです。
お行儀のいい博物館に飾るような文化ばっかりかじるんじゃなくてね。(ねえ?早苗ちゃん)
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