Saturday, January 2, 2021

小説「経営と原罪」

※この作品はフィクションです。実在の人物、事件、団体とは一切関係ありません。


 夜1時。高橋は、この時間は普段なら寝る時間なんだけれど、興奮して眠れない。


「何かを成し遂げた実感」


この感情の轍は、多くの場合その次に来る予期不安とかネガティヴな感情によって洗い流される一過性の美しい花火のようなものではある。


人生においては、楽よりもおそらくは「苦」のほうが圧倒的に多い。それは競争に敗北したゆえの「苦」というよりは、コップに水がどの程度満たされているのか、という状態のことで、殆どの人間が、それも多くはSNS上で、「ハッピーで瑕疵一つない」自分の生活を「アピール」しているに過ぎない。これは21世紀になって人類が手にした「虚栄」の一種であり、そういう意味では病理である。


何かを勝ち取ったとき、勝ち取った瞬間やその前後するわずかな時間の余韻を人は味わうだろう。だが、なぜだろう、その成功の果実は、短い時間であっという間に色あせた林檎のようになる。この幸福のパルスを、可能な限りチューインガムのように咀嚼するには、都市社会はあまりにも時間の流れが早く、煩雑すぎ、不安に満ち満ちていた。


高橋は首相官邸より直々に、首相のITアドバイザーをせよ、との通達を受けた。事実、これは高橋家のなかでは快挙なことで、これは家族親戚の間に瞬く間に噂として広まった。


「あのひろあきくんが」


今まで日が当たる人生ではなかった。父親はピンサロを経営していて、住んでいる場所はその真隣のボロい一軒家だった。無論人間の欲望の究極に対してのビジネスである以上、箱を構えているだけで客は勝手に向こうから集まってきた。ただし、地元の暴力団との定期的な関係、日的で起こる不条理な恐喝(末端構成員との悶着)、その環境から逃げられないという現実.... すべては物心ついた時から高橋の心の中に「影」を与えた。


学校ではやはり親の職業はあっという間にバレるもので、隣のクラスの宮島から石を投げられたこともあった。その石は、ベットボトルの蓋くらいの軽いものであったが、目のすれすれにそれが当たった時、一瞬何が起こったのが自分でも理解が追いつかなかったが、家に帰って時間差で自分が受けた屈辱を反芻し、憤りと悲しみで耐えられなかった。


見方を変えれば、これは逆境でもあったのだ。彼のような不幸な子供時代を送らざるを得なかった人間が、辿る道は大きく分けて二つ。社会と構えるか、社会のルールにのっかって「勝つ」かの二通りだ。


社会と構える場合それは暴力を突き詰めるということでもある。喧嘩にあけくれる。よくいる、自分を強いと錯覚したやつらではなく、実力行使が可能な(そしてその実績がある)主体、という意味である。つまり腕力によって他者を搾取する側にまわるということで、つまり暴走族を居場所とするとか、暴力団組織に属するとか、そういう道である。


もう一つは、社会のルールにのっかり、経済的に成功して勝つ、この社会が支配層と被支配層に二元化された複雑でありかつ単純であると言うダイコトミーを内包した構造体であるならば、そこで支配層にまわる、ルールを作る側にまわる、ということである。


高橋は後者を指向した。これは父親が後ろ指さされながらも、「経営」を行なっていたという後ろ姿を見ていたからかもしれない。子供に対し、父親が与える影響は甚大だ。それが理想像となるか反面教師になるか、という議論は除外しても、かならず何かしらの逃げ難いテーマを与えうる、ということはある程度真であり、高橋の中では父親の持つマキャベリズムに幾分感化された側面がないとは言い難い。事実、例えば従業員が待遇に対し不満を漏らした時のよいマインド·コントロールを彼は知っていた。


「知ってる?幸福度が一番高くなる年収は450万なんだよ」


どこかで齧った、無教養さの匂い漂うこのセンテンスは、その場を俺が支配してるんだぞ、というアピールとしても使われたが、何より本質的なのは「価値判断」をこっちが「主導する」、つまり相手を自分が「コントロール」する、という動機性であった。自分は2000万稼いでいたが、実績も出していない新入りのくせに、ボーイをやってる分際で給与を500万にしろ、と大塚が言ってきたから、であったが。


この父親の「言ったもんがち」の傲慢な断定、これは事実狭い部屋、少人数では有無を言わさぬ力があった。まず、相手につけあがらせてはいけなかった。


支配側にまわる、ということは相手を可能な限り安い値段で、長時間働かせ、かつ「罪の意識」を持たせる必要があった。どれも人を雇う側としては当然の動機であって、「俺が上なんだ」ということをわからせなきゃならない。それに、なめられてはならない。だからフライパンを顔を真っ赤にしながら叩こうとも、口先で自身の価値をハイパーインフレさせる醜悪な習慣を繰り返そうとも.... 絶対に「俺が弱い」ということは知られてはならなかった。それは「死」を意味するからであった。


「原罪性」を個々の構成員に持たせること、これはとくに有効であった。ホワイトカラーは軍隊じゃない。特に、コンプライアンスなどが厳しい昨今、殴るなどの物理的実力行使によって上下関係を明確にあぶり出すなどということはできるわけもなかった。つまり、コンプライアンスが重視される現代の職場では、「如何にトサカを広げて自分が強いオスかをアピール」する「虚栄」のチキンレースに時間·労力的投資を惜しまないか、がネックになった。


全ては「技術」とも「生産性」とも縁のない「技術」(それゆえパラドックスではあるが)高橋の父親のこのような一つ一つの何十年も培われたスキル、は高橋そのものによって財産となった。


これらは少し揶揄的に表現されてしまったが、事実日本というリングの上で彼はこれらの「財産」を惜しみなく使い、彼は風俗ビジネスで一財産を築いた。


この財産は、その総量としてあまりにも莫大になったため、ほどなくして高橋は国政に乗り出した。結果として彼はこの選挙に当選し、自由民主党の中で10年ほど議員をした後、


首相のアドバイザーになることができた。


高橋から若い者へのアドバイスがあるとしたら、


「とにかくマウントをとれ。法が支配する以上、どんなに強いやつも基本自分に危害を加えることは不可能である。」


「であれば、その中でいかに自分が(あたかも物理的に)強いかのようなイリュージョンを、日本語をハックしながら周りに示していき、自分に従わせることがネックになる」


だが悲しいことに、この後、高橋は元ボクサーの弁護士の女にちょっかいをかけようとしたことにより、素手で顎を砕かれ、生死の境を彷徨うことになる。



(続く)

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