Sunday, October 23, 2022

巨乳について

 コミックやアニメの中で・・・月曜日のたわわ騒動でも取り上げられたが、いわゆる

女性の「巨乳」への、男性の過度な執着

という問題があった。そして、これは「性的消費」「女性の物体化」という揶揄も受けたし、またそれに対してのカウンターの批判もあった。

ここについて・・・特に「コミック」すなわち二次元の「巨乳」について、おそらく大きな誤解があると思う。つまり「ギャップ」である。

オタク文化・萌え文化の中で「異性=女性」というのは大きく二極化される傾向がある。それは、

「巨乳」と「小児性愛」

である。

後者は「ロリ」や「メスガキ」などというジャンルとして扱われている。
前者は、執拗なまでの女性の「巨乳化」をその特徴とする。

なぜ彼らオタクがそこまでに「ロリ」や「巨乳」に固執・執着するのか?

その答えは、

彼らの異性へのコンプレクス(劣等感)

にあると考える。

これはあくまで私の観察してきた範囲で個人的統計的な(heuristics)結論

ではあるが、彼らが漫画のなかで女性を「物体化(Objectify)」するのは、

彼らが「性」へのコンプレクスを持っているからである。(もちろん一般にも巨乳フェチは一定の割合でいるものの、オタクの巨乳への執着はそれとは少し意味合いが異なるのではないかと思われる

異性に惹かれる・・・ということは元来審美的なものであり、どのような未熟さや失敗がそこにあったとしても一定の対人格的なイベントであるから、

「女」

というものの「像 figure」はもっと解像度が高いし、情報量が多い。

相手は自分の思い通りにはならないし、だからこそ葛藤とか失敗や泥臭いあれやこれやがあり、そうやって人は成長していく。

多くオタクはその過程に参加できなかったものである。

若い日に性的に抑圧され、異性の像が「歪んだ」、

その結果として異性は「物体化」される。

すなわち「物体化される異性像」とはかれの「女性経験のなさ」が産んだ副作用と言える。

小児性愛についても・・・これは私自身そういった類の人に接触したことがあまり(何人か会ったことはあるが、そこまで絡んだことはない)なく、想像にはなるが・・・ただ宮崎勤などのケースをみても、

「女に相手にされない」

「女が恐怖の対象である」

そこから、必然的に「自分をジャッジしない白紙状態の小児」に行く・・・という、どちらかというと性癖よりも「心理的」「コンプレクス」が強い要因となってそこにいきつく・・・・

のではないかと推測される。

なので、巨乳や小児性愛への異常なまでの執着が「二次元」にとくに強く見られるのは、

「女を知らない」男たちが「女」を(強い動機性で)表現している

無論、彼らの全てが童貞であるとは限らないし、純粋にマーケットを意識して意図的にそう描いている場合もあるだろうが、

「女とつきあった経験がない(浅い)」

「ゆえに、女のイメージや像が非常にスカスカである」

「すると、そこには巨乳やロリが一番強い要素として全面に出てくる」

ということになる。

なので前回月曜日のたわわで私がフェミニスト批判のような形で感情的に書いたのは、

「そもそもこれらオタクがある意味恋愛弱者」であり、

恋愛弱者の最後の逃避の場所としてのフィクションをつつく・・・

というのが倫理的にあまりにもあまりじゃないか、

そして、彼らが最後によって立つところの歪んだ異性像である「物質化」された「巨乳ちゃん」というのが、

彼らが「最強の人」になることをギリギリで止めるもの「たり得るのならば」、彼らをむしろ容認する方が社会にとっては善ではないか・・・という見方を私個人はしているからである。

この「弱者」としての「オタク」の居場所をどう確保するか・・・その「居場所」としての「巨乳」なのではないか・・・・

まあ私個人はそういう「リアリティの欠如した」「女性」像は二次元でも大嫌いで、「コンテンツ」とか「キャラクター」ってもっと「リアル」の人間の内面を描くべきではないか・・・

とは思うが、元来男というのは(特にもてない男)というのは「共感」が欠如した傾向がつよく、まあそれも仕方ないよね・・・とは思う。

まとめると、

「巨乳」が二次元で多く見られるのはそれを描いてる主体の「性的なコンプレクス」である・・・・

ということ、

また、ある意味ではその性的なコンプレクスが日本のサブカルチャーの一端をになってきたという言い方もできなくはないから、

まあ野放しでよくね?

とそういうことである。




No comments:

Post a Comment