Thursday, November 6, 2025

【聖書新聞】「しこる」のは罪か?キリスト教が教えます @asmrchurch #聖書 #ASMR #キリスト教

【聖書新聞】「しこる」のは罪か?キリスト教が教えます @asmrchurch #聖書 #ASMR #キリスト教: 【聖書新聞】「しこる」のは罪か?キリスト教が教えます @asmrchurch #聖書 #ASMR #キリスト教

「しこる」のは罪か?キリスト教が教えます 2025-11-07 ひとり暮らしの部屋でスマホを手にする夜、どこまでが「自分だけの自由」で、どこからが「誰かを傷つける欲望」なのか。インターネットが性(セイ)をきわめて私的で、同時にきわめて公共的なものにしてしまった時代、ことしばしばやり玉にあがるのがマスターベーション(自慰行為)です。 今回は、読者をあえて「独身で、ちょっと自己評価の低い、理屈はわかるしネットも見るけど、教会の感覚はよくわからない日本の男性」と想定し、キリスト教の教えと健康研究を手がかりに、「本当にそれ、全部ダメなのか」を朝日新聞の論説調で考えてみます。 --- 1 聖書は意外と何も言っていない 最初に肩すかしの事実を書きます。聖書には「あなたは自慰をしてはならない」とは書いてありません。旧約聖書の創世記38章に出てくるオナンの物語が一人歩きして、「精子をこぼしたから神に罰せられた→自慰は罪だ」という図式が広まりましたが、あの話は兄の妻タマルに子を残して家をつなぐという当時の社会的責任を、オナンがわざと回避したことへの裁きです。性的快楽そのものを咎めたわけではありません。ここを取り違えると、議論は最初から傾きます。 むしろ聖書が強く言っているのは別のことです。「人をむさぼるな」「人を物のように見るな」という点です。新約聖書マタイによれば、イエスは「女を見て情欲をいだく者は、すでに心の中で姦淫をしたのと同じだ」(5章28節)と語りました。ここで問題にされているのは、相手を一個の人格として見るまなざしを失い、所有したい対象にしてしまう心の向きです。 つまり「行為そのもの」よりも、行為を支える想像と視線が問われている。ここがキリスト教的な性倫理のコアになります。 --- 2 なぜキリスト教はきびしく見えるのか とはいえ、歴史的には多くの教会が自慰に否定的でした。そこには三つの背景があります。 1. 性は本来、婚姻(コンイン)という契約の中で相互に与え合うものだ――という枠組み。ひとりで完結してしまう性は、その枠外にあると見られやすいのです。 2. 情欲(リュウヨク)=相手の対象化はやっぱりよくない――という強い警戒。今で言う「ポルノ的な目線で人を見る」ことへのブレーキです。 3. 依存や習慣化をおそれる文化――性を「扱いをまちがえると人を壊す力」と見る伝...

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