Sunday, November 27, 2022

笑顔と涙について

 僕個人がかなり歪曲した人間だから・・・かもしれないが、日本において人口に膾炙している「笑顔」と「涙」について、僕はかなり「まずいな」と思って見ている。

このそれぞれの単語や概念に問題意識を持っているわけではなくて、「日本人の」・・・もう少し過度な一般化を外せば「日本の市井の」もつ「精神的な成熟度」の限界、つまり「人間理解」とか「思想」の限界がこの「笑顔」であり「涙」であるからだ。

もう少しわかりやすくいうと、個々人のもつ「人間理解」の最小単位が「目に見える表層的なもの」であって、つまり「様式(フォルム)」だということだ。

だから「笑顔」や「涙」や「感動」が人間理解の基底部分の限界になっていて、これは「浅い深い」でいうと「浅い」というのが現実だと思う。

つまり日本の市井には地に足のついた哲学がない。

つまり日本の市井には成熟した「内面性」がないし、あっても子供の落書きのように未成熟である。

「いい人」というのもそのカテゴリに入ると思う。

ただ、じゃあ日本人そのものの内面性をDISっているのか・・・というとそうではなくて、

日本文学はそのことの容易い反証になりうる

つまり日本文学というのは、すなわち我が国の国語で記された「つきつめられた内面」をある程度テーマにしたメディアにおいては「内面」は存在しうる、

でも、いま僕らが消費しているコンテンツ含め・・・戦争直後の痛み・・・などが薄れたこともあるけれども、個人の内面というのは非常に底浅で、それが「涙」「笑顔」という、人間の実存について

「絵面」

を重視し絵面におわる、そういう悪い意味での日本人らしさに終始しているように思われる。

でも、本当に重要なのは「涙、涙」ではなくて個人が「悲しい」ということだし、また、重要なのは「笑顔、笑顔」でなくて個人が「幸福」であるか・・・ということである。

この「悲しさ」「幸せ」という単語の抽象度は高く、要求される「考える」ことの総量も増えるから、「涙」「笑顔」という解像度で止まるほうがきっと楽だ。そうして「絵面」で始まり「絵面」で終わる内面性が量産される。

ただ、こうやってしゃべっていくとあまりにも日本文明に対して意地悪だし、ぼくはあくまでも市井で起こっている「内面の劣化」について憂いているわけであって、

三島由紀夫がかつて文化防衛論で述べていたみたいに、

「フォルム(様式)」そのものに日本人の哲学(内面性)があるんだ

というのは非常にわかりやすくて、だから

「武道」なんかは非常にわかりやすい日本のもつ内面性の財産であろう・・・

などとも思われる。

そして、内面性というのは自己に関係づけられた実存的なリアルにしか結びつかない、

それはより自然と密接になっていないといけなくて、それが西欧のように「自然を支配し加工するにしろ」、東洋のように「自然を崇拝し共生するにしろ」、

それはどちらにしろ自然や肉体とつながっていないといけない。

今の日本の市井はいわば「無菌」であり、

それは「死」や「暴力」といった現実にいっさい近づかない、

膝すらすりむかない、

そういう抽象度の高い社会で「考える」ということを失う、

「考える」つまり「自我」の奥行きや幅を失う、

僕はその結果が「涙」であり「笑顔」の乱用だと思う。

非常に語彙力に貧しい。

人が文学を読まなくなった。

国語がやさしく、柔らかくなった。

村上春樹をDISるわけではないけれど、

やはり国語とか国語の総量や質に人「そのもの」が既定されるのに、

一方では、

書店はどんどん閉鎖し金太郎飴化も加速した。

ある意味では「プラクティカル」な情報は優先的にとられるようになったが、

「市井」から「教養」が薄れていった

よく有名人の「失言」や「しょうもないスキャンダル」が執拗に繰り返されるのも、皇族関係者への執拗なバッシングも、どちらかといえば「内面性の劣化」がもたらした産物ではいかと。劣化した需要に対して、劣化した供給があるんだろうな、と。

コンテクストや意味を「解釈・分解」できる体力がなければ、やはり「言霊」がすべての最小単位になる。でも言霊はただの部品であって「思考」の最小単位ではない。

でも、思考ができなければ、やはり「言霊」が前景に押し出てくる。だから「〇〇発言」、「〇〇発言」・・・こういった民意からよいコンテクストやストーリーが生まれることは難しいでしょう。

「教養」を背伸びする(団塊世代のような)、そういうスノビズムすらなくなった。インデクスすら、消えてしまった。

そういう時代に、やはり個々人が内面を進化させるのは重要で、

内面のない空虚な時代にぼくらは生きていて、

そういう内面の欠如の集大成が統一教会との癒着なんだと思うけど、

やっぱり日本このままだとやばいと思います。

ただこれはあくまでも僕の主観というか肌感でしかないですし、

冒頭に申したとおり僕自体もだいぶ偏屈で歪曲した人間ですから、

まあ話半分にってことで。

日本にもっと神保町が増えたほうがいい。


No comments:

Post a Comment