漫画、作曲、ラップ、プログラミングをやっています。I am Keita Roimo: Manga Artist, Musician, Rapper, Software Engineer.
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Tuesday, December 27, 2022
ネコホーダイは正しいのかもしれない
380円でネコをサブスクできるサービス、ネコホーダイが注目を集めた。
これが各所から顰蹙を買い、炎上した。
炎上したポイントはかいつまむと以下の通りである:
1. 命ではなく「モノ」として扱っている
2. 虐待するために買う人間がでてくる
3. 環境が変わることによるストレス
間違いではない。というより正しい。ただ、以下の反証もできる
1. 保護猫として受け取ったら絶対に虐待しないのか?
2. 飼えなくなって、結果捨てたり虐待するケースはどうする?
3.「殺処分されるはず」の猫が「よい」飼い主に当たるのであれば、それは現状よりはるかによいのでは?
4. サブスクをして、虐待目的の人間が交じる比率はそんなに高いか?
こういった疑問も湧く。もちろん論破したいとかそういうことではないし、怒りを感じる人の気持はわかるけれども、怒りを感じるひとたちがより「何が問題」なのかを言語化する・・・ということをしないと、01の話になるような気がする。(アベプラでは保護団体の人はちょっと発言が感情よりで説得力が弱めだった)
でも、初めに挙げられていたとおり「でも、雑すぎじゃね?」「倫理としてよいのか」というのも正しい観点と思え、重要なのはここで挙げられた定義が一枚岩ではなく、是非がそれぞれある程度の根拠がある、
であれば・・・どのようにしてそれを「クリア」するか・・・というのが問題なのではないだろうか。
まとめると、
- サブスク対象のネコを虐待するような人間・やべーやつに露出することは0にしたい
- 環境の変化によるストレスをネコに与えないようにしたい
とすると、考えられる方法は以下のとおりである
事業所や介護施設「単位」でのみのサブスクでビジネスモデルを組み立て直す(そうでないサブスクは違法にしちゃう)
要介助の難病・高齢者のみサブスクのハードルを下げ、それ以外のケースでは貸し出さ「ない」か通常の保護猫引き取りのプロセスに分岐する
サブスクできるのは(本当に殺処分一歩手前)のネコであるという要件を明記・担保する
サブスクの料金の下限を設定(1万円とか)し、客を「広げすぎない」
定期的にサブスクされているネコの状態を確認し、虐待が(軽度でも)確認された場合は資格停止(そして通報)する。
といったような改善をつみかさねることでクリアできるんではないか・・・と思いました。
どちらにせよ、このトピックについてはテック側にも愛護団体側にもどちらにも意見は理があると思うので、まあそんなかんじで。
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宮台真司さんの襲撃事件について
事実関係についてここで述べるまでもないが、あくまで個人的な感想を。
今まで「究極の暴力」が身近にない前提・・・・で僕らは生きてきた、というか全体的にそういう感覚があって、
テレビや新聞で放映される戦争や暴力はどこか絵空事、他人事であり、自分には関係ない・・・・
そういう感覚がこの国には蔓延していたのだ、自分も含めて。
だから、自動車事故とか、事件とか、いろいろ放映されるけど、やはりそれはどこかよそよそしい・・・そして数日もすれば忘れられるような出来事だ。
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今回の宮台真司氏への襲撃は・・・おそらくは、言論人といった発信をする有名人と、その言論を暴力で封殺してやろう、黙らせてやろうという個人の怨恨の関係・・・だから1:Nの関係。
昔ストーカーに刺されまくった地下アイドルの悲劇があったが、有名人とか公人のもつ実存的なリスクというもの・・・それが露呈したんじゃないかと思う。
また、やはり暴力とか死、というのは身近なものなのであって、
のらりくらり、大道を闊歩して生きる、
大した物理的な戦闘力もないのにメンチを切ったり怒鳴ったりする愚かな中高年が露頭に溢れている、
そういう日常がある日「死」に転ずる・・・
ある程度武術とかの素養がある宮台真司氏で・・・すらこのような襲撃に対しては無力なんだから、
やはり我々がもう少し自身がいかに脆弱な存在であるかを再認識し、
そこから再出発すべきなんじゃないか、
そしたら、「無礼」は街頭から消えるんじゃないか・・・・
などと・・・(あくまで個人の感想でござる)
「武」っていうのはこういう突如発生する「暴力」をしっかり認識しているということで、やはり「武」は日常生活に組み込まれる・・・つまり思想なんだと思う