この命題について、一般に漫画でご飯食べてる人たちはかなり掘り下げて考えている(はず)。僕がここで取り扱いたいのはいわゆる萌えアニメオタクの自己正当化という意味合いのゴタク(サブカル論)ではない。日本のサブカル論のエコシステムを僕が嫌悪するのは、自分の偏った性的指向に難しい学術用語をつけてプラモデル組み立てる、的な印象があるからだ。
別にアニメオタクが嫌いなわけではない。サブカル論というのが個人的にはあまり好きでない。とても恣意的な、言ったもん勝ちな印象があるからだ。
.... といった前置きは置いておいて、なぜ日本の男性向け漫画がいわゆる10代の女の子ばっかり生産、消費しているのかについての答えははっきりしている。
人間という個体が年齢を上げていくということは、内面的に、またそれを表象した外見も複雑度を上げていくからだ。高い年齢層を主眼において扱うような漫画の場合、必然的にアウトプットは劇画にシフトしていく。
漫画というのは、自然をデフォルメに切り取ったものであり、デフォルメの度合いが増すということは複雑係数が下がっていくということだ。例えばシワとか毛穴とか頭と顔の比率とか。デフォルメが完成すると、ほぼほぼ青少年が閾値(median)になる。
劇画の度合いが高くなれば、それは成人や青年を主眼に扱った漫画になる傾向がある。逆に、デフォルメの度合いが高くなれば、それは幼児性のパラメーターを強調していく形になるので、キャラが子供っぽければ子供っぽいほど「善」となる。(かんたんにしたい、という動機性)
ようはデフォルメに特化した絵の書き方をした時に、子供をかいた方が絵的に綺麗になるのだ。 (らき☆すたとかはいい例。大人もみんなほぼほぼ子供体型になってるし、キャラの精神も軒並み幼児化している)
アメコミのヒーローが男性とか大人、を強調しているのに比べ、日本の漫画ヒーローがどことなく子供、とか華奢OKみたいになっているのもこの傾向があるからだ。
消費している方もデフォルメされた様式美が完成しているほど楽しい気持ちになるので、結果として日本の漫画にはJKばかりが出てくるという形になる。(だってそっちの方が売れるし)
ゆえに、作る方もアウトプットの仕方が二分するということは確実である。(劇画かデフォルメか)
BL作家がホモ男性を実際に恋愛対象として嗜好しているわけではないように、ロリ漫画を描くおっさんがそっち系でない、というのも明白な事実だが、ここら辺は偏見がとても持たれやすい。
ちなみに共産主義の日常に出てくるキャラは大学時代に恋した人とか、浪人時代に英会話喫茶で惚れたおねいさんとか、大概は恋が成就しなかった相手がモデルになっている。
彼女らは普通に当時20のおねいさんだが、デフォルメのテンプレートに乗せた時は学生服を着せた方が絵的に綺麗になる。(それに毎回服を変えたりする必要がないので書いていて楽)
などなどぐちゃぐちゃとまとまりのないことを言ったが、大事なことは、
劇画は精神的な成熟性とか大人、に属するアウトプットである。
デフォルメは精神的な幼児退行、子供、に属するアウトプットである。
ここに対幻想的なファクターとか諸々消費者の関心を引き付けるための要素を掛け合わせていくと、結果として後者はロリロリしてしまうよ、ということです。
あとは消費の時間の不可逆性の問題があり(backward compatibility)、青年や中高年が少年少女向けの(少年少女が主役な)コンテンツを消費することは可能だが(なぜなら過去を想起して自己投影すればいいから)、14,5歳の中学生に島耕作なんか読んでもらえない、的な事実もあり、なるべく最大公約数を狙おうとするとどうしても少年少女をキャラのメインに据えるのがどうしても王道になる。
作る側の理屈
(十把一絡げには言えないが、実は日本女性の多くはこの男性向け漫画(を消費する男性の嗜好)に影響されていて、対幻想のマインドセットとして幼児退行している、というのが僕の考えだ。例えばアメリカ/韓国女性なんかは大人っぽいことを性的アピールとして強調するが(nicki minajみたいにケツがでかいとか)、日本女性はどちらかというと(服とかも)子供っぽく見せる、という傾向がある気がする)
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