音楽とは何か、について考えてみると、多分用途や効用によって分類可能なものだという結論に至る。
ざっくりいうと、その本質はお絵かきであって、これは間違いない。
印象派の絵画とドビュッシーの絵はやはりリンクしている。
受け手が後天的に脳内でマッピングしてそれが紐づくのかどうかは、わからない。ただ、単語が実際の自然物、ないし抽象化された観念と紐づくように、やはり構成された音の複雑な集合体と、それの表現するものは結びついている。
昔まぺとくん(今は仲悪い)と美学校でライブしたときに、ノイズの生演奏があって、それは僕ら見る側と演奏側の間の立体空間上に悪魔を、描いていた、と感じた。
ほとんど感想文の世界なのと、直感というのは一般的に科学的な思考よりも劣ったものとみられるので.... (また実際、知的能力の低い人が自分の強い言葉を正当化する場合にも、この「直感」は乱用されてしまうようなケースがあるので)これを絶対化することに意味はないと思うが、自分自身の音楽に対する意義とか意味、効用を説明するためにはこの方程式はしっくりくる。(宗教とかの啓示もこの類の強力な主観なのかもしれない。。。)
音楽の用途分類
1. 共同幻想のトレース
2. 共同幻想の動機付け(エンジン)
3. 特別な部屋、アドレス
4. 性的な自己実現の手段
共同幻想のトレース
音楽は音を使ったお絵かき、という前提にたつと、 まず考えられるのは音楽は共同幻想のトレースだ。共同幻想というのは吉本隆明の共同幻想論でいわれている、社会全体を表象する、社会全体の、法を超えた共同意識として個人に強制力をもたらす(そしてときに死に至らしめる)目に見えない力、空気のことだが、この共同幻想の定義をもう少し広げると、その時間上、地域で共有されている空気感や気持ちに共感できるための媒体としての音楽である。
海外や、どこかの孤島でとりのこされ、ホームシックになった時に、おそらく人は自分の故郷の歌を口ずさむ。
共同幻想の動機付け(エンジン)
スクラムマスターのように、部族単位で考えてみると部族の戦闘意思をかきたてるための手段である。戦争の際、軍隊を鼓舞する軍歌である。学校の校歌である。このように、本来静的な個人の集まりに、一つの共通な大きなベクトル(イデオロギーに紐づいた)を与えるエンジンを、音楽が担っている。
特別な部屋、アドレス
これは限りなく僕の音楽に対する考え方に近く、自分自身の再確認、自己回帰、自己反復、としての手段である。音楽は現実空間上と並行して全く別次元の半バーチャルな何かを作り出し、それが聞く人間をつつむ部屋となっている。マリリンマンソンが「音楽は自分にとって逃避だった」などと言う時、おそらくはこのこと(=部屋)を指している。
性的な自己実現の手段
動物を観察した結果と相似である。異性を惹きつけるための手段としての音楽である。MJとかJJあたりはかなりここを意識したマーケティングを展開していた。
また、これら 1. - 4. は必ずしも確実に分離しているわけではなく、アメーバ状に浸透し合っていると、個人的には考える。
また、上記4つの動機性や機能性に優劣というのはなく、それぞれが長い間人類の進化と関連して用途として生き残ってきたのだと思われる。
僕自身の話にフォーカスすると、僕は人とかかわること自体をかなり面倒だと考えていて、(強がった言い方だと面倒、だが、対人恐怖症?インターフェースは後天的に発達させたので、一見そうはみえない)それは遺伝的にそうなのだが、そういった内向的な状態で自分を表現する、自分をアピールする(3, 4)、他者や外界の世界とコミュニケーションする(1, 2)、自分自身の自己肯定を取り戻す、維持する(3)などの使い方をしているような気がする。
ただ、こういった音楽への考え方も、もしかしたらひねくれているのかもしれない
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